レポート
マチミチ会議特別編 ジャネット・サディク=カーン氏来日記念講演会in東京|後編

国土交通省では、「居心地が良く歩きたくなる」まちなかづくり推進のため、全国の街路・まちづくり担当者等が一堂に会し、担当者間の知見・ノウハウの共有等を図る「マチミチ会議」を2018年度より開催しています。そして、「マチミチ会議特別編」として、2024年5月14日には東京で、5月16日には大阪で、ニューヨークの道路空間に歴史的変化をもたらしたジャネット・サディク=カーン氏を招き、来日記念講演会を開催しました。ソトノバでは、そこで繰り広げられたスピーチやディスカッションの様子をお届けします。
本記事では、マチミチ会議特別編 パネルディスカッションについて紹介します。ニューヨーク市の道路改革を牽引したジャネット・サディク=カーン氏を中心に、菊池雅彦氏(国土交通省 大臣官房技術審議官(当時))と三浦詩乃氏(中央大学理工学部都市環境学科 准教授/ストリートライフ・メイカーズ共同理事)を交えたディスカッションです。サディク=カーン氏による基調講演の内容は「前編」をご覧ください。
Contents
6年間で変化した日本のウォーカブル施策の進展
近年、日本でも「居心地が良く歩きたくなるまちづくり」が全国各地で進められ、具体的な変化が生まれつつあります。まず、三浦氏は2019年のサディク=カーン氏の来日を契機に、日本のパブリックスペースがどのように変化してきたかを紹介しました。
難波の駅前広場
大阪市・難波の南海なんば駅前の「なんば広場」は、官民一体で長年取り組まれてきた先進事例の1つです。以前はタクシーや車に占拠されていたエリアが、現在は生き生きとした公共空間へと再生されています。この場所の特徴は、プレイスメイキングの専門家が長期にわたって支援していること、また、地下鉄の入り口にできる陰に自然と休憩する人が集まってくるなど、利用者が多様な過ごし方を楽しんでいることだと三浦氏は紹介しました。
宇都宮のLRT導入
自動車中心のライフスタイルが主流だった栃木県宇都宮市では、2023年に待望のLRT(ライトレールトランジット)が開業しました。国内の路面電車の中でも最大の定員を収容可能な車両と、統一された停留所デザインが採用され、市民のシビックプライド向上に寄与しています。若者から高齢者まで幅広い層から歓迎されるこのプロジェクトは、LRTの導入がまちへの投資意欲を引き出し、地域の活動をさらに充実させることが期待されています。まさに「グレートプレイス」を実現するためのチームづくりや、LRTの導入に伴う地域の街路ネットワークの再構築を分析するリサーチ面において、優れた人材が育っていると紹介しました。
新たなストリートデザインの試み
東京における新たな「車から人へ」の試みとして注目されているのが、東京高速道路(通称:KK線)の再編です。かつては通過空間だった場所を、滞在できる空間へと変える動きが進んでいます。こうした流れは東京に限らず、各地で進められており、例えば、カーブサイドへの車進入をとめることで新たな滞在スペースを生み出す実証実験(パークレットの設置)などの試みも行われています。
このように、パブリックスペースの新たな活用方法が模索されるなかで、三浦氏は「長期的な視点が不可欠である」と指摘します。日本では、ニューヨークなどと異なり、単年度単位の社会実験を長年繰り返す現状があります。また、交通インフラの再編には、規制や資金確保などの課題も伴うため、持続的なプロジェクトの推進が求められています。
これらの事例を通して、三浦氏は自治体における人材育成の重要性を唱えました。部署や部門の異動が多い行政組織においては、個々のスキルアップとネットワーク形成が課題です。まちづくりの人材育成という点では、国土交通省が進めるエリアプラットフォームを活用することで、実践的なまちづくりを支援することが求められています。

「居心地が良く歩きたくなるまちなか」から5年―日本のまちづくりに見られる3つの変化
次に、菊池氏から国土交通省の街路政策、日本のウォーカブル施策の変化について解説がありました。
6年前の「マチミチ会議」では、日本におけるウォーカブル推進の議論が進み、翌2020年にはいわゆる「ウォーカブル推進法(改正都市再生特別措置法)」が成立しました。これにより、「居心地が良く歩きたくなるまちなか」が全国で本格化し、大きな変革がもたらされたといいます。これについて、三浦氏もまた、サディク=カーン氏の来訪がターニングポイントとなったと強調します。
そして菊池氏は、この5年間で見られた主な変化として、次のように分類しました。
1.全国の自治体の意識変革:関連制度の整備に伴い、自治体職員がウォーカブルなまちづくりに積極的に挑戦するようになった。
2.エキスパートの増加:魅力的な空間づくりには専門知識が不可欠であり、その育成が進んでいる。
3.ウォーカブルな空間の創出:制度を活用し、実際に公共空間の変革が進んでいる。

また、日本におけるウォーカブル施策の進め方についても話題が展開されました。
菊池氏は、ニューヨークでのサディク=カーン氏の取り組みを挙げ、街路空間を歩行者、自転車、公共交通のために再編していた点に注目しました。そのうえで、日本では街路を歩行者専用の広場空間として再編する傾向が強いと指摘しました。
そして、自身の活動経験をもとに、日本では歩道が自転車走行の場として利用されるという、世界的にも非常に珍しい状況にあると話しました。本来、街路の再構築には、歩行者、自転車、公共交通を含めた全体の活用方法を検討すべきものですが、実際には交通手段ごとに行政の担当部署が分かれており、限られた街路空間内で統合的なデザインを進めるのが難しいという課題があります。そこで、ニューヨークの取り組みについてサディク=カーン氏に意見を求めました。
サディク=カーン氏は、菊池氏の質問に対し、
すべての取り組みは「プラン」から始まる。
と答え、計画がすべての始まりであり、目標達成には計画が不可欠だと強調しました。
そして、ブルームバーグ市長の下で策定された「PlaNYC」を紹介し、温室効果ガス排出量を30%削減する目標が、街路の変革に大きな影響を与えたと述べました。
都市交通の改善には、単に人々に自転車やバスを使うよう呼びかけるだけでなく、使いたくなるインフラをデザインすることが重要です。そのためには、自転車専用レーンやバスレーンを設けるだけではなく、歩行者・自転車・公共交通が連携するネットワーク全体を構築する必要があります。さらに、東京ではインフラが整っていない中でも多くの人が自転車を利用しているため、適切なインフラ整備が進めば、自転車利用の中心都市になり得ると重要性を語りました。
東京は、もっと保護されたインフラが整えば、サイクリングの強力な首都になると思います。

NACTOが提案する新たな自転車・街路構造デザインの可能性
三浦氏はNACTO(全米都市交通担当官協会)のガイドラインが示す街路設計の可能性について質問をしました。
それに対しサディク=カーン氏は、ユニバーサルデザインは都市交通において重要であると強調しました。
NACTOとその姉妹組織GDCIは、街路設計の指針となるガイドライン(Global Street Design Guide)を提供しており、すでに多くの都市が採択しています。
従来のエンジニアが、新しいデザインや自転車レーンの導入に慎重なのは、責任問題や法的な問題を懸念しているためです。このガイドラインは、その懸念を解消し、エンジニアが安心して導入できる環境を整え、「変化を恐れる言い訳」をなくしています。
サディク=カーン氏は、日本でもガイドラインを採択することが有効だと述べ、すでに東京や大阪で導入が進んでいると述べました。また、こうした変革には、若い専門家が都市の未来を担う「ストリートファイター」として活躍することが不可欠であると述べました。

人口減少を踏まえた交通政策の方向性
続いて三浦氏は、日本では人口減少に伴い、歩行者や自動車の利用も減少していく中で、その変化を活用し、課題を克服することが重要だと指摘しました。しかし、徒歩・自転車・公共交通の推進において、自動車普及が減少したとしても、依然として「交通渋滞への恐怖感」が根強く残っていると述べ、この交通のステータスを変えることが難しい現状があると話しました。そこで、アジア圏での取り組み事例や、日本の人口減少を踏まえた交通政策の方向性について、サディク=カーン氏からの意見を求めました。
対してサディク=カーン氏は、都市ごとに異なる状況があるものの、共通する課題にも直面していると指摘しました。
幅広い街路が存在し、車に強く依存した文化を変えることは、まさに「ストリートファイト」なんです。
と、現状を変えることの難しさを強調した上で、日本では人口減少が進んでいるため、これをチャンスと捉え、空間を取り戻すことができると主張しました。もし、街路空間を取り戻さなければ、より多くの車が走行し、速度が上がることで交通事故が増加する恐れがあります。
現在、世界では年間120万人が交通事故で亡くなっていますが、これは克服できる問題であり、道路空間の再構築が必要です。「渋滞課金(コンジェスチョン・プライシング)」などの対策を導入することで、交通量を17%削減できる可能性があると述べました。
そして最も重要なのは、交通量を削減することによって生まれた新たな空間の活用です。サディク=カーン氏は、日本の都市でも、この「取り戻した空間」の活用計画を立案することが、今後の持続可能なまちづくりに不可欠であると強調しました。交通政策の転換期にある今、空間をどう活かすかが、都市の未来を左右するといえそうです。

松山の事例とウォーカブル施策の多面的な影響
続いて、菊池氏は地方都市におけるストリートファイトの影響について、愛媛県松山市の事例を紹介しました。松山市ロープウェイ通りでは、2車線の道路を1車線にし、歩行空間を拡幅する道路再構築の事業を実施しました。その結果、歩行者数が3.5倍に増加し、地価も12.6%上昇するなど、都市の価値向上に大きな影響を与えました。この経験を通じ、街路の再構築が沿道やエリア全体の価値を高めることを実感し、関係者の間でもその重要性が共有されるようになったと紹介しました。
また、菊池氏はウォーカブル施策には経済・健康・コミュニティ形成などの多面的な波及効果がある一方で、その影響を評価する知見が不足していると指摘しました。そしてサディク=カーン氏に対し、ウォーカブル施策による波及効果について、どのように考えているか、見解を求めました。
サディク=カーン氏は、具体的な波及効果について述べました。教育面においては、子どもが屋外で過ごす時間が増えることが脳の発達に良い影響を与え、公衆衛生面においては、歩行や自転車利用の促進により、肥満の解消など健康増進のメリットがあると述べました。ただし、これらの影響を具体的に測定するのは難しいため、DOT(ニューヨーク市運輸局)は「Measuring the Streets(街路を測る)」という評価フレームを導入しています。これにより、交通安全・経済・健康・教育といった多角的な指標で街路改善を評価できるようになりました。
特に「安全性」は最も重要な要素の1つであり、ニューヨーク市では優先的に取り組んでいると述べました。具体的には、4,000件の交通事故データを分析し、事故原因を解明してインフラ投資の優先順位を決定し、これにより100年で最も低い交通死亡者数を達成したと述べました。

AI・テクノロジーとまちづくりの未来
そして三浦氏は、近年のテクノロジーの進化により、AIや画像認識技術を活用したデータ取得の方法が変化していると述べました。これに伴い、データを収集・活用する主体も変化しており、例えば、行政や自治体だけでなく、エリアマネジメントやBID(Business Improvement District:ビジネス改善地区)に関わる民間団体も積極的に関与できるようになっています。そのうえで、都市をネットワークとして捉え、広域的な変革を進めるためにそれぞれの主体がどのような貢献ができるか、重要な事例があれば教えてほしいとサディク=カーン氏に質問しました。
サディク=カーン氏は、AIやその他のテクノロジーを活用した、交通システム管理の可能性を認める一方、データの抽出や分析が進んだからといって、それだけですべての問題が解決するわけではないと指摘します。
例えば、「空飛ぶ電動タクシーが登場して、人々を運ぶようになる」といった発想がありますが、サディク=カーン氏は、これを「想像力の欠如」と捉えています。地上の渋滞を空中に「移した」に過ぎず、結果として空にも渋滞が発生する可能性があるため、根本的な解決とは言えないと述べました。
これを受けて三浦氏は、データそのものが目的になってしまうこともありますが、改めて、現場のストリートを変えるにはイマジネーションが重要だと強調しました。
6年前の講演会で、サディク=カーン氏がこう語っています。
変革が起きないのはエンジニアリングの問題ではなく、想像力の問題
「街路が変われば世界が変わる!マチミチ会議特別編ジャネット・サディク=カーン講演会」より
この言葉が示すように、都市の未来をつくるためには、データとイマジネーションの両方が欠かせません。

会場からの質問
ここからは、会場参加者からの質問に3人が答えていきます。
Q. COVID-19を経て、ニューヨークにおけるウォーカブルの考え方を支える社会の評価が変化しましたか?
サディク=カーン氏:ニューヨークは「歩ける街」であり、歩行を促すためには「安全性」が不可欠です。個人の安心感に加え、照明やスペースなどインフラ面での整備も重要です。
そのうえで、行動を促す工夫として「アクティブ・デザイン・ガイド」や、階段や地下鉄の利用を促すキャンペーンも有効な手段なのではないかと考えます。また、ニューヨークでは「ウェイファインディング・プログラム(道案内システム)」を導入しており、マップを活用して現在地や目的地までの移動時間を可視化することで、移動のハードルを下げています。こうした施策により、人々が知らないエリアにも足を運びやすくなり、徒歩での移動を促進できるのではないでしょうか。
Q. ウォーカブルなまちづくりにおいて、日本ではゴミ箱が少ないことが課題ではないか。特にインバウンドの増加により、適切なゴミ処理の仕組みが求められる。ニューヨークではストリートにおけるゴミ箱のあり方について、どのように考えられているのか。また、日本における行政・研究者の視点も知りたい。
三浦氏:ゴミ箱の設置は地域の自治による部分が大きく、官民が協力して維持管理できる場合は設置されるが、行政に委ねられている地域の差があり、ピーク時に対応するために、撤去されることも多いです。また日本のまちは、平休日で賑わいの差があるため、イベント時のピークに対応するために常設の設備を整えるのは難しいのではないでしょうか。そのため、近年では美化活動を促すデザインやキャンペーンによって、人々の意識を変える取り組みも進んでいます。
サディク=カーン氏:日本のゴミ箱の少なさには驚きましたが、自己責任で持ち帰る仕組みは1つの戦略かもしれませんね。ニューヨークでは地下鉄のゴミ箱はメンテナンス負担やテロのリスクから撤去されましたが、市民からは元に戻してほしいという声もあります。商業地区ではBIDの仕組みを活用し、商業施設が資金を拠出してゴミの管理を行う事例もあり、特に大規模イベントが行われる地域では、こうした仕組みが有効な可能性があります。

まとめ -挑戦を続ける重要性-
最後に菊池氏は、日本のウォーカブル施策の進展について近年の変化をまとめました。前回サディク=カーン氏が来日した6年前と比べて、ウォーカブルの取り組みは着実に進んでいるものの、より総合的かつ効果的に進めていく必要があるとし、そのうえで、各地での取り組みを支援していきたいとの考えを示しました。
続けて、事前に参加者から寄せられた質問を取り上げ、「ニューヨークでは失敗した事例はあるのか?」と問いかけました。
これに対し、サディク=カーン氏は、
すべてのプロジェクトが順調に進むわけではなく、状況に応じた調整が不可欠であるという考えを示しました。市民の反発を受けて計画を見直したケースも多く、なかには、いったん引き戻さなければ最終的にすべてを失っていたかもしれないという判断を迫られた場面もあったと振り返ります。そうした経験から、声の大きさやメディアの反応に流されず、目の前で何が起きているのかを冷静に見極めることの重要性を語りました。
今、何が起きているのかをきちんと見る必要があります。ただ声に流されるだけではいけません。
プロジェクトの進行には、目指すゴールを見失わず、データを活用して市民の実際の行動や声をきちんと捉えることが欠かせないのです。
そして最後に、ストリートに必要なのは、
戦い続けるしかない。
と締めくくりました。
会場からは大きな拍手が巻き起こり、参加者一人ひとりが、「変革」と「挑戦」の意味を改めて受け止めながら、熱気と余韻の残る中で、来日記念講演会は静かに幕を閉じました。
今回の講演を通じて、まちを変えることの困難さと可能性の両方に、あらためて向き合う時間となりました。成功も失敗も受け入れながら、私たち自身が「ストリートに関わり続ける当事者」であることを、忘れずにいたいと思います。

資料提供:Janette Sadik-Khan