レポート

Reports

レポート

マチミチ会議特別編 ジャネット・サディク=カーン氏来日記念講演会in東京&大坂|前編

国土交通省では、「居心地が良く歩きたくなる」まちなかづくり推進のため、全国の街路・まちづくり担当者等が一堂に会し、担当者間の知見・ノウハウの共有等を図る「マチミチ会議」を2018年度より開催しています。そして、「マチミチ会議特別編」として、2024年5月14日には東京で、5月16日には大阪で、ニューヨークの道路空間に歴史的変化をもたらしたジャネット・サディク=カーン氏を招き、来日記念講演会を開催しました(ソトノバは運営として参画)。

本記事では、ジャネット・サディク=カーン氏による基調講演「街路が変われば世界が変わる」について紹介します。東京会場における、菊池雅彦氏(国土交通省 大臣官房技術審議官(当時))、三浦詩乃氏(中央大学理工学部都市環境学科 准教授/ストリートライフ・メイカーズ共同理事)とのパネルディスカッション内容、大阪会場における、嘉名光市氏(大阪公立大学 大学院工学研究科 教授)、寺川孝氏(大阪市建設局長)とのパネルディスカッション内容については、後編でお伝えします。

ジャネット・サディク=カーン(Janette Sadik-Khan)氏のプロフィール

2007年から2013年まで、マイケル・ブルームバーグ市長のもとで、ニューヨーク市の交通コミッショナーを務め、タイムズスクエアやブロードウェイの歩行者天国化、約400マイルの自転車専用レーンの整備、7本の高速バス路線の建設、60カ所以上の広場の設置など、同市の道路に歴史的な変化をもたらしました。現在では、ブルームバーグ・アソシエイツの創立代表として、世界中の市長と協力し、都市の再構築と再設計に取り組んでいます。

図1(5年ぶりに来日し、登壇するジャネット・サディク=カーン氏)

基調講演「街路が変われば世界が変わる」

「まず、目を閉じてください」。

サディク=カーン氏は、講演を始める前に会場に投げかけ、未来の交通輸送について想像するよう促しました。

サディク=カーン氏はGoogleで「Future of transportation」と検索した画面を見せ、モノレールやフライングカーやエアロトレインなど、さまざまな輸送技術の発展が想像できる中、これらの多くは今あるものをファンシーにしたものであると述べました。例えば、フライングカーは空飛ぶ車、ドローンはおしゃれなヘリコプター、ハイパーループは地上を走る地下鉄に過ぎないのです。そして、これらの画像の中に人がいないことが問題だと指摘しました。

図2(未来の交通輸送のイメージ)

そして、自分たちが今住んでいる世界について、「世界で一番素晴らしい都市はどこですか?」と会場に問いかけました。

会場からは、「ニューヨークシティ!」と真っ先に声があがり、続けてバルセロナや東京といった名前が挙がりました。そしてサディク=カーン氏は、なぜ多くの人たちがこれらの都市を世界で一番素晴らしいと評価するのか、共通点は何かと問います。素晴らしい都市には、人が集まり、つながる「プレイス」があり、そこで人生が展開されているのだと強調します。

しかし、先に挙げた将来の交通輸送の姿にはこの「プレイス」の表現がないため、新しいストーリーラインが必要だとサディク=カーン氏は言います。私たちが本当に見たいと思っている未来を構築することが重要であり、当然そうすべきだと強調しました。

サディク=カーン氏は、著書『ストリートファイト』を引用し、「都市の偉大性というのは何が建設されたかによって決まるものではない。何が可能になったかで決まる」というメッセージを伝えました。街路はそこにいてワクワクするだけのものではなく、都市の基盤です。街路は、人々を集めたり孤立させたり、健康にさせたりすることできるし、人々にインスピレーションを与えたり、不安にさせたりもします。それはバルセロナでも東京でも大阪でも、どこの都市でも同じなのです。

自転車の利用と歩行者空間の重要性

サディク=カーン氏は、自転車はまちを観察するための最初の手段であり、街路は本来、人々のものであるべきだと強調しました。

サディク=カーン氏は、1907年のマンハッタン・へスターストリートを例に挙げ、当時は人々が歩き、自転車に乗り、馬車やストリートカーが共存している空間だったと述べました。しかし、時間の経過とともに、多くの街路は車によって占領され、交通標識が設置され、駐車する車が増えた結果、歩行者や自転車利用者が排除され、街路が人々のための空間ではなくなってしまったのです。

この現象はマンハッタンだけでなく、世界中の都市で見られます。サディク=カーン氏は、1920年代の東京・神田須田町の写真を示し、当時は歩行者やストリートカー、馬車が共存していたが、現在では車だけが走る空間になっていると指摘しました。

図3(1920年代の神田須田町の様子)

また、東京では91%の人々が公共交通、徒歩、自転車を利用しているにもかかわらず、実際の街路の90%がほぼ自動車に占有されていることを指摘し、車が渋滞の主要な原因であると述べました。たくさんの道路を建設しても渋滞は解消しないことを強調し、米国の文明・社会批評家で都市研究家のルイス・マンフォード(Lewis Mumford)の言葉を引用しました。

「渋滞を防ぐためにより多くの道路を建設するというのは、肥満を防ぐために自分のベルトを緩めることと同じだ」。

サディク=カーン氏はこの言葉を用いて、車依存のインフラ整備が問題を解決するどころか、逆に悪化させる可能性があると警告しました。

さらに、ニューヨークでの自転車道整備の成功事例を紹介しました。ニューヨークでは、2007年に設置された5kmの自転車道が2013年までに650kmに延伸され、現在では2400km以上に達しています。バイクシェアリングシステムの導入も進み、多くの人々が自転車を利用しています。

サディク=カーン氏は、東京や大阪でも自転車インフラへの投資が必要であり、自転車道の整備は安全性と経済性を重視した重要な戦略であると強調しました。例えば、マンハッタンの8番街では、自転車専用レーンを設けたことで小売店の売上が49%増加し、交通事故による負傷者の数が58%減少するなど、具体的な成果があったことを紹介しました。

図4(人のための街路について強く強調するサディク=カーン氏)

海外の街路改革の事例

サディク=カーン氏は、ニューヨークでの経験をもとに、世界中の都市で行われた街路改革の事例を紹介しました。彼女が2007年に交通局長を務めていた頃、ニューヨーク市では、公共交通機関の利用者が85%に達する一方で、毎日100万台の車が街路を移動している状況でした。車のインフラが過剰であり、街路に対する意識の変革が必要だったのです。

ニューヨーク市では5000人の政府機関が9700kmの街路を管理し、1万9000の交差点や789の橋梁、米国最大規模のフェリーシステムを運営しています。サディク=カーン氏は、街路改革がまちの住みやすさ、アクセスのしやすさ、そして経済活動の発展に影響を与える要素であると述べました。

また、2009年にブロードウェイで行った新しいプラザ(広場)をつくるという社会実験についても取り上げました。当初、この取り組みには多くの反発を受けたそうですが、結果として不動産価値が3倍に上昇し、毎日10万人以上の人々がタイムズスクエアを訪れるようになったと言います。この成功事例を通じて、サディク=カーン氏は、「都市の変革は戦いであり、戦い抜くことが大成功への鍵である」と強調しました。

図5(ニューヨーク市の状況)

また、他の都市における成功事例の紹介もありました。

ロサンゼルスでは、かつて車専用だった空間を、小売店や人々が楽しめるシアターに変えるプロジェクトが行われました。都市空間が人々を歓迎する場所へと変わり、多くの市民や観光客が集う場となりました。ミラノでは、5叉路の道路をコミュニティ主導で広場に変え、近隣の学校の子どもたちや住民が集うスペースとして活用する取り組みが進められ、多くの地域住民が賛同しました。

さらに、ニューヨークのマンハッタン34丁目(クイーンズ区)では、街路にペンキを塗り、プランターを設置して安全な空間を創出しました。ウェブスター街(ブロンクス区)では、バス専用レーンを設けることで走行がスムーズになり、乗客数が増加しました。セリオット街(ブロンクス区)やブルックリンのフォートグリーンでも、街路を移動だけの空間から、人々を歓迎する空間に変える取り組みが行われました。

これらの事例を通じて、サディク=カーン氏は、都市の再構築には市長のリーダーシップと地域コミュニティの協力が不可欠であると述べ、変革には強い意志と具体的な行動が求められると強調しました。彼女の交通輸送に対する改革への強い思いが、国境を超えて多くの都市に影響を与えていることがよく分かります。

日本の取り組みと課題

サディク=カーン氏は、東京・渋谷のスクランブル交差点についても言及しました。非常に多くの人が徒歩で移動している場所でありながら、その大部分の空間が車に占有されている現状を指摘しました。「渋滞の代わりに人々が集い、自転車や公共交通を利用する未来を想像してみてください」と述べ、渋谷の交差点が歩行者や自転車のための空間に転換される可能性について話しました。
サディク=カーン氏は、こうした改革を行うことは現実には難しいかもしれないが、世界中にはすでにモデル都市が存在することを示し、『Global Street Design Guide』を参考に、具体的な計画を立てることで、徒歩や自転車で利用しやすい街路に変えることができると強調しました。渋谷のような場所が、車から人中心の空間へと転換されることで、都市全体がより魅力的で住みやすい場所になると示唆しました。

図6(渋谷のスクランブル交差点を歩行者空間に転換できるか?)

続いて、大阪市の御堂筋や仙台市の取り組みにも言及しました。大阪の御堂筋では、もともとは車両交通が中心だった幅広い車道を歩行者のための空間に転換する改革が行われ、なんば駅前では車が多い空間が公共スペースに生まれ変わりました。この取り組みにより、地域住民や観光客にとって居心地の良い空間が提供され、都市の魅力が高まっています。仙台市でも、街路空間を歩行者やサイクリストに優しい空間に変える社会実験が行われており、地域住民の生活の質の向上やコミュニティの強化が期待されています。サディク=カーン氏は、こうした社会実験が街路改革の効果を測定し、将来の計画に役立つ重要なステップであると述べました。

さらに、サディク=カーン氏は「GINZA SKY WALK」の取り組みについて触れ、東京では高速道路の変革が次の大きな改革となるかもしれないと述べました。この構想では、車専用の高速道路の一部を歩行者のための空中回廊に変えることで、より多くの人々が利用できるスペースを創出し、都市の魅力を高めることを目指しています。彼女は、この「GINZA SKY WALK」が「アジアのハイライン」として、東京の新たなランドマークとなる可能性があると述べ、都市の再構築における大胆なアイデアの重要性を強調しました。

このような取り組みは、車中心の都市設計から人中心の都市設計へとシフトする一歩であり、日本の都市もより多くの歩行者や自転車利用者に優しい環境を提供することができるとサディク=カーン氏は述べています。この提案は、日本の都市が持つ可能性を最大限に引き出し、住民や観光客にとって魅力的で持続可能な都市を実現するための方向性を示唆するものでした。

まとめ

サディク=カーン氏は、変革の可能性はどこにでもあり、それを実現するには努力と熱意が必要であると述べました。素晴らしい街路をつくるのは技術やエンジニアリングの問題ではなく、想像力が必要です。「街路が変われば世界が変わる」というサディク=カーン氏の強いメッセージが会場に伝わると、大きな拍手が巻き起こりました。

後編では、サディク=カーン氏とのパネルディスカッションの様子ご紹介します。

図7(タイトルの言葉で講演を締めくくったサディク=カーン氏)

All photos by Kotaro Shigeta
資料提供:Janette Sadik-Khan

Twitter

Facebook

note