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15分都市の意外な定着性|ポストコロナ時代の新たなアーバニズムを解説
パリ市長が15分都市を掲げたことを皮切りに、「15-Minute City|15分都市」のキーワードが世界中を飛び交うようになりました。
なぜ、ここまで「15-Minute City|15分都市」のキーワードが世界中で注目されているのでしょうか?
今回は、Lisa Chamberlain氏が2022年1月に取りまとめた「The Surprising Stickiness of the “15-Minute City”(15分都市の意外な定着性)」の記事を取り上げ、内容を翻訳・解説します。
15分都市の意外な定着性
≪以下、The Surprising Stickiness of the “15-Minute City”の翻訳文です≫
ブロードエーカーシティ、輝く都市、エコシティのように、アーバニズムに関するトレンドは移り変わっています。
それにも関わらず、「15分都市」というコンセプトは、自宅から徒歩、自転車、または公共交通機関で行ける範囲に必要なすべてのアメニティがあることを意味し、パリ、ソウル、ボゴタ、ヒューストンと、単なるアイデアとしてだけでなく、アクションのための強力なツールとして、依然と定着していることを実証しています。
長年都市に携わってきた者にとっては、「15分都市」は、ウォーカブルや複合用途地区といった歴史的な都市開発のパターンを再構築しているに過ぎないと思われていました。
古いワインを新しい瓶に詰めたようなものです。
しかし、世界的なアーバニズムのムーブメントを引き起こす新たな枠組みにより、それ以上のことが明らかに起こっています。
もちろんそれだけではありませんが、要因はパンデミックであることは明快です。
パリ市長のアンヌ・イダルゴは、このような枠組みを使わずに先進的な都市政策を推進したでしょう。
しかし、COVID-19とその変異ウイルスによって誰もが家にいるようになり(あるいはいつもより家の近くで過ごすようになり)、「15分都市」は「あったらいいな」から「叫び」に変わったのです。徒歩・自転車・電車で移動できる範囲内ですべてのニーズを満たすことは、突然、生死を分ける問題になったのです。
パンデミックは、自転車専用レーンやその他の「アメニティ」についての長年にわたる地域社会を揺るがす議論を脇に追いやり、公平な都市計画の緊急性をもたらしました。
15分都市という言葉は、2016年にソルボンヌ大学のカルロス・モレノ教授によって提唱されたもので、彼はこのアイデアを開発したことで2021年にObel賞(オランダに本拠を置くオベル財団が「人類の発展への建築的貢献を称える」ために創設した賞)を授与されました。
下のグラフは、15分都市という言葉の世界的な検索動向をGoogleトレンドで調べたもので、真ん中のピークは2020年11月15日頃です。
「15分都市」をGoogleトレンドで検索動向を調査。2020年11月15日頃がピークに。
新しい枠組みがその時を迎えるとき、流行以上の何かが生まれつつあるのです。
パンデミック以前には、「自宅」が都市計画の中心的な構成要素になるという考えを真面目に受け止めるプランナーはほとんどいなかったでしょう。「テレワーク」の増加が予測されたものの、自宅からの仕事は依然として異例のままです。
実際、農業革命後から産業革命、技術革命に至るまで、仕事と商業は常に都市の中心的な構成要素でした。
歴史的に見ると、多くの都市は交易を中心に発展し、その後、より恒久的な商業の場へと発展していきました。
都市は、モノとヒトをより近づけることで輸送コストを削減してきたのです。こうしたコストを削減することで、都市は生産性を高め、文化やイノベーションを掛け合わせて都市をさらに進化させてきました。(アリストテレスは「都市国家は(人間が)生きるために生まれるが、(人間が)よく生きるために存在する」と述べています。)
交通手段として自動車が主流となってから100年以上が経過しましたが、依然として仕事が都市空間を支配し、通勤時間はますます長くなっています。15分都市の対極にある郊外は、経済の中心となる都市の近郊でなければ存在し得なかったのです。
都市の創造的破壊
今や、COVID-19は、このような状態を逆手に取って、パンデミック以前にはなかった「15分都市」のコンセプトを定着させたかもしれません。
下図が示すように、「15分都市」は都市の空間的な関係性の中心に「自宅」を据えるものです。重要なのは、あらゆる文化的アメニティや人間の欲望を玄関先からすぐ手の届く場所に配置することではありません。
ニューヨークにはブロードウェイ劇場街は一つしかありません。しかし、ミッドタウン・マンハッタンが、9.11同時多発テロ事件以後のローワー・マンハッタンと同様の復興パターンをたどらなければならないことは間違いありません。そして、それは郊外にも当てはまり、すでに多様化している範囲をはるかに超えています。
パリが推進する15分都市の概念実際、職場の分散化は、都市を殺すのではなく、都市を救うことになるでしょう。その過程で多くの創造的破壊が起こりますが、そうやって都市そのものを更新していきます。職場を分散化しない都市は、既知の、そして想像を絶する方法で大変な苦労をすることになるでしょう。
気候変動の打撃やストレスがより頻発・深刻化するにつれて、「15分都市」はさらに重要となるでしょう。エリック・クリネンバーグの仕事を追っている人なら誰でも、弾力性が場所に根ざしていることを知っています。
つまり、社会的・経済的関係を育み維持する地域社会は、豊かである必要はないが、安全で歩きやすく、住宅と商業施設の双方が健全である必要があります。
さらに、15分都市が危機を乗り越えるだけでなく、繁栄するためには、十分な数の公平で所得が混在する住宅もデジタルアクセスも必要であると協調したいと思います。
このようにして、お店のオーナーや従業員、同僚、介護士、教育者、友人など、近所の人たちはお互いを知り、理解することができるのです。このような方々がいざというときに集まってくるのです。
パンデミックの期間に現れた相互扶助組織は、危機における社会的結束の重要性を示しており、それは生活必需品が身近にある場合にのみ機能するのです。
スペイン・バルセロナのランブラス通り15分都市は、常に危機的な状況で生きている中世の自治村の集合体ではありません。
都市のフラクタル性は、時間とともに進化し、より大きな都市のアイデンティティに貢献する、独自の文化的歴史を有する接続された近隣地域の集合体として、都市に原動力を与える場所にするものです。(ハーレム・ルネッサンス、あるいはサウスブロンクスのラテンジャズやヒップホップの文化など。)
ここでは「接続」という言葉が大いに機能します。確かに、人々は大量輸送機関やその他都市のあらゆるサービスを必要としています。しかし、都市は場所であると同時にアイデンティティでもあります。歴史家のユヴァル・ノア・ハラリが言うように、都市は「フィクション」であり、(時にそれが弱々しく見えようとも)協力関係を軸に社会を組織する共有概念であります。ハラリは、原始的な人間のフィクションとして国民国家と宗教に焦点を当てましたが、私は都市こそが最も永続的な人間のフィクションであると主張します。
ディストピア、ユートピア、エウトピア ーDystopia, Utopia, Eutopiaー
15分都市とは対照的に、20世紀から現在に至るまでの都市のトレンドは、ディストピア的(Dystopian)でありユートピア的(Utopian)でもある急激な都市化です。
推定10億人(地球上の8人に1人)の都市部の貧困層は、インフォーマルな居住地で暮らしています。そして、ディストピア的な中国のゴーストタウンでは、1億3千万件の空き家があり、現在のアメリカの人口を上回る約3億4千万人を収容することができます。
一方で、韓国の松島(ソンド)、アブダビのマスダールシティなど、「スマートシティ」と呼ばれるユートピアの建設が進んでいます。
これらの多くは、魂のこもっていない失敗作とみられているにも関わらず、日本においてトヨタ自動車のウーブン・シティが建設中であるように、希望は永遠に湧き出ています。
Dystopia(悪い場所)とUtopia(何もない場所)の間にあるのが「エウトピア/Eutopia」です。19世紀スコットランドの博学者パトリック・ゲデスが作ったまちづくり用語です。ギリシャ語で「良い」を意味する「eu」と「場所」を意味する「topos」が語源となっています。
エウトピアとは、「場所(place)、仕事(work)、住民(folk)」からなる、都市の最高最善の姿と表現しています。
ゲデスは、エウトピアを数値化して計画するために、”vital budget(生命維持家計)”という概念を開発しました。そして、彼は
「社会は、貨幣賃金(自然や文化の質を犠牲にして個人の利益にエネルギーを浪費させること)から生命維持家計(社会的・個人的・市民的に生命を維持し進化させていくために、エネルギーを保存し、環境を組織すること)へ移行しなければならない」
と主張しました。
これは、技術革命がもたらした創造的破壊を通して生まれたという状況も含めて、15分都市とよく似ています。
では、15分都市の何が新しいのでしょうか。コンセプトとしてはたいしたことはなく、当初、私は流行りものだと切り捨てていました。
しかし、「古いワインに新しいボトル」というフレーズが流行し、真の変化を引き起こし始めると、15分都市の歴史的ルーツが、現在の瞬間、また今後私たちが生きていくであろう長い期間と深く結びついていることが明らかになったのです。マーク・トウェインはかつて、
「新しいアイデアというものは存在しない」
と話しました。
「それは不可能である。私たちは、たくさんの古いアイデアを、一種の精神的な万華鏡の中に入れているだけ。そして、それらを一回転させると、新しい不思議な組み合わせが生まれる。私たちは無限に新しい組み合わせを作り続ける。しかし、それはすべての時代を通して使われてきた、同じ古い色ガラスのかけらなのだ。」
≪以上、The Surprising Stickiness of the “15-Minute City”の翻訳文です≫
訳者あとがき:日本における15分都市の定着性
いかがでしたでしょうか。
「15分都市」は、これまでの鉄道駅等の交易、商業・業務を中心とした都市計画の考え方と異なり、自宅を中心に据え、あらゆるサービスの受給やコミュニティ活動が近くにある姿を提唱しています。
Lisa Chamberlain氏が綴ったように、「15分都市」自体は2016年から存在し、COVID-19によるパンデミックが起因し、より緊急性が高まったと考えられています。
特に、パンデミックによりロックダウン等の措置があった諸外国においては、日本よりも15分都市の概念が強く定着していったと考えられます。
また、Lisa Chamberlain氏は、パンデミックにより現れた相互扶助の関係性が「15分都市」の定着に欠かせないとの見解を示しています。
では、日本において「15分都市」の定着はあるのでしょうか?
2020年に日本においてもCOVID-19が蔓延し始め、外出の自粛が呼びかけられ、職場、飲食店等への滞在や公共交通機関での遠出が控えられたときに、自宅近くの公園に人が集まる様子が見られていました。
サードプレイスはおろか、セカンドプレイスも奪われ、同時に日常的な休息や余暇も奪われたとき、代替となる場としてオープンエアーな空間の必要性が増したと考えられます。
私は、この瞬間こそが日本においての「創造的破壊」であると感じました。
そして、ポストコロナ時代において、身近なパブリックスペースを通して、自宅周りの環境が豊かになることが「15分都市」の足掛かりになると期待しています。
訳=小原拓磨
初出=2022年1月25日
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