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オープンスペース|空地

アーバンスポーツを起点としたローカルスポットで地元を元気に!地元を想う企業の挑戦

道路や公園といったパブリックスペースに対するニーズは、時代や社会情勢によって刻々と変わっていきます。

かつては、大量かつ安全に通行することを第一に整備されてきた道路も、近年では、ウォーカブル推進の掛け声とともに、地域活性やそれを目的とした賑わい創出の場としての役割も求められるようになってきました。

また、公園においても、Park-PFI制度の創設や保育所などの設置要件緩和などによる公園機能強化など、一昔前とは違う存在意義が付加されています。

しかし、私たちがこの問題を考えるとき、人口の集積する都市部での課題解決に着目しがちなっていないでしょうか?

多くの人が集まる都市部と人口減少が進行する地方都市では、同じ課題でも解決手法が異なることはすぐにわかるでしょう。

この記事では、急速な人口減少と高齢化が進む山形県村山市で、「新しい公共空間のモデルづくり」に奮闘する株式会社矢萩土建の矢萩翔一社長とそのプロジェクトの基本構想を監修している株式会社日建設計 藤奏一郎さん、伊藤雅人さんに話を聞きました。

Cover Image by 日建設計


過疎の村から発信する公共「的」空間

今回のプロジェクトの舞台は、山形県村山市です。

村山市は山形県の中央部、山形市の北約25㎞に位置し、最上川が市の中央を北に流れる自然に恵まれた小都市です。

人口は約20,000人で、1947年の約42,000人をピークに減り続け、転入数が転出数を上回る「社会減」の状態が続いています。市の主な産業は農業ですが、就農人口の約8割は50代以上で、高齢化と後継者不足が課題となっています。

商業施設などの経済活動は隣接する東根市に吸引され、2010年には、山形県により過疎地域に指定された、いわゆる、「中山間地域の過疎化」に直面した地方都市です。

このプロジェクトの主役は、この村山市で60年にわたり、道路工事などを手掛けてきた株式会社矢萩土建です。

1965年に個人商店として創業した矢萩土建は、1967年には村山市発注の工事を請け負い、以来、「地元の土建屋さん」として村山市を中心に公共工事の請負施工をしてきました。

2023年に三代目社長に就任した矢萩翔一さんは、自らもスケートボードを楽しむ傍ら、本業を超えた社会貢献として、自社敷地内に東北地方最大級の屋内スケートパークである245skate parkを設置運営し、2022年グッドデザイン賞を受賞しました。

2454矢萩土建が設置運営する東北最大級の屋内スケートボード施設245skate park。名の由来は村山市西郷(ニシゴー)地区にちなむ(写真提供:矢萩土建)

245skate parkは、地元の子どもたちに安全に遊んでほしいという想いのほか、地域の交流スポットの創設、さらには、プロスケーターのセカンドキャリア形成までも視野に入れて運営されています。

今回、矢萩さんが「新たな公共『的』空間をつくる」と聞き、話を聞きました。

仲間とともに「つくりあげる」というDNA

ー 矢萩土建と矢萩翔一社長について教えてください。

矢萩土建は、私の祖父が起業した土建屋です。

売り上げの8割は公共工事、大きなところでは、東北中央自動車道の工事や最上川の築堤工事も行いましたが、やはり村山市から発注される工事が中心です。

山形市から東根市までは、土木工事に予算がつきやすいのですが、村山市まで来るとなかなか…。

私は、2023年に社長に就任しました。生まれも育ちも村山市です。

小さいころからスケートボードが好きで、いろいろなところで乗り回していました。

中学生の時、小学校の校庭でスケートに乗っていたら先生に叱られまして、でも、もっと怒られたのが父だったんです。で、「おまえら、スケボーなら、会社の前でやれよ」って、言ってくれて。今考えると、相当邪魔だったと思うんですけど(笑)。

 

当時、会社の空いていた倉庫をちょっと拝借して、仲間内でDIYしたのが、245skate parkのはじまりです。

当時から、図面を引いて、必要な材料を計算して、お金を集めていました。そのDIYを20年くらい続けたのですが、いよいよ老朽化が激しくなって、止めちゃおうかなと思った時に、母の「施設のグレードを下げてやってみれば?」の一言で、今の施設になりました。

インタビュー風景プロジェクトについて丁寧に、そして熱く語る矢萩さん(右)。左は日建設計 伊藤さん(Photo by NAKANO Ryo)

ー DIYでつくりあげるなんて、すごい情熱ですね。

当時はまだ、地域貢献とかコミュニティとかそんな気持ちもなくて、自分が楽しみたい、仲間のために成し遂げたいという気持ちが強かった。それが20年経って、評価してもらって、自分が親にしてもらったことを子どもたちのためにしてあげたいという気持ちに変わりました。

当時一緒にDIYしていた仲間たちも、電気屋さんだったり足場工事をしていたり、これからのプロジェクトを「事業」として一緒にできることもうれしいですね。

 

村山の各地区にお祭り用の山車があるんですが、昔はトラックに載せて引き回していました。それを手引き山車として設計したのは祖父なんです。祖父は、当時一緒に仕事をしていた大工さんと一緒に山車をつくって、手で引き回せるようにしました。

仲間と一緒に新しいことをしてみるのは、わが社のDNAなのかもしれません。

DSC_0409現社長の祖父である初代社長も、地元の仲間とともに新しい文化をつくりあげていった。(写真提供:矢萩土建)

「ローカルスポット」をつくることで、新しいまちづくりを目指す

ー 今回のプロジェクトでは、自社敷地内に道路「のような」の施設と公園「のような」施設をつくり、地域に公開すると聞いています。その意図を教えてください。

最初に言っておきたいのは、敷地内に道路のようなもの、公園のようなものをつくることは目的ではなく手段です。そして、今回のプロジェクトの目的は大きく2つあります。

 

1つ目は、なんでもありの空間ができないか、ということです。

なんでもありというのは語弊がありますが、「共存」というような、お互いの存在は認めているけれどそれぞれが別の存在、ではなく、そこから一歩進めて、スケートボードもBMXもバスケットボールも、まちに存在するアクティビティとして認めてもらうにはどうするべきなのかを、この場所で考えたいと思っています。

 

なんとなくその答えは見えていて、「ローカルスポット」をつくることかなという気がしています。

ローカルスポットの中は「自分たちの空間」という空気が充満していて、大切に使うとか、ルールを学ぶ場所だとか、その場所の持つメッセージがあふれています。その場所から醸し出される雰囲気によって、ルールはなくても無法地帯にはならないばかりか、教える場所・学ぶ場所としての機能を発揮することもできます。

 

そういう場所をつくり出して、まちなかに落とし込めないかと考えています。

スポットパース_trさまざまなアクティビティが存在する空間をまちなかに落とし込むためには、「ローカルスポット」という考え方が必要(資料提供:日建設計)

2つ目は、アーバンスポーツでまちを変えたい、という想いです。

村山市には、廃校になった旧県立楯岡高校を活用した「Link MURAYAMA」という施設があります。ここは、ワーキングスペースや飲食店、子どもの遊び場など、公共施設と民間施設が入り混じった複合施設ですが、屋内広場の1階はスケートボードやBMXが予約なしでできるスペースになっています。

これに加え、私たちの敷地内にストリートスケートスポットをつくることで、スケートボード人口を増やす、やめる人を減らすことにつながっていくと考えています。その結果、スケートボードが「スポーツ」ではなく「カルチャー」として、村山に定着してくれるとアーバンスポーツを見る世間の目も変わるのではないでしょうか。

2 (カスタム)Link MURAYAMAにあるコンクリート広場。スケートボードやBMXなど、いわゆる、アーバンスポーツを楽しむ空間として整備された(写真提供:矢萩土建)

ー 確かに、現在のアーバンスポーツは、地域から無条件に受け入れられているとは言えませんね。新しいスポットに置かれるベンチには、スケートストッパー(スケートボードが滑走できないような凹凸)が必ず付くようになりました。アーバンスポーツを見る目は厳しさを増しています。

私から見ると、アーバンスポーツはもっと自由なはずなのに、スポーツ事業化して収益を挙げるように囲い込んでいるようにも見えます。遠慮なく言えば「食い物にされている」と感じます。

アーバンスポーツ側にも問題はあると思いますが、最初から排除ありきは違うかなと思います。そこを打破するためにも、「スポーツ」ではなく「カルチャー」として認めてもらうにはどうふるまえばいいかを、この場所で実践して見つけていきたいと思っています。

そしてその知見や課題を行政にも伝えて、子どもやその次の世代も住み続けたいと思うまちにしたいと考えています。

ニワミチパーク三重県四日市でも、アーバンスポーツ×まちづくりとして「老若男女の集うスケートパーク(はじまりのいち)」と呼ばれる再整備計画が進められている(写真提供:日建設計)

パブリックスペースに求められるのは、ルール設定と使う側に委ねる勇気

ー では、今回のプロジェクトの基本構想を監修している日建設計の藤さん、伊藤さんにもお話を聞きます。今回関わったきっかけは何だったのでしょうか?

全国でパブリックスペースに関わる業務を行う中で、本来誰もが自由に使えるはずの公共空間が、なかなか「自分たちの居場所」という空気感をまとえなくて、自由に使えない状況にあることに課題感を持っていました。

そんな中で、村山市の状況や矢萩さんの想いに触れ、強く共感し、このプロジェクトに関わることになりました。

ー 矢萩さんの想いを聞くと、単なる施設デザインでないように感じます。

はい、単に施設デザインを考えるというよりは、私有地を使って、どうまちの未来に寄与できるか、を矢萩さんと一緒に考えているように思います。

はじめに相談を受けたときは、「スケートパークに見えないスケートパークをつくりたい」という、どちらかと言うとスケーター寄りの施設になっていくイメージだったのですが、議論する中で矢萩さんがまちに対して望んでいることや課題なども見えてきたこともあり、それならば矢萩土建の主軸である道路と、まちに不足している公園という、パブリック性の高い2つの要素を掛け合わせた使い方のできる場を目指してはどうか、という方針にシフトしていきました。

私たちはまず、世界にあるストリートスケートスポットについて、その空気感や聖地と称される理由を調べてみました。世界には、ロンドンのサウスバンクやスウェーデンのマルメといった、ストリートスケートの「聖地」と呼ばれる場所がいくつかあるのですが、これらの場所は計画されて「聖地」になったわけではありません。

スケートボードに適した場所として「発見」され、スケーターに「育て」られて、その空気感をまとっていきました。

こういった場所では、日本とは、まちを見る目線が違うようです。

サウスバンクスケートボーダーの「聖地」と言われるロンドン・サウスバンク。この場所の持つ空気感が、この地を聖地たらしめている(写真提供:日建設計)

ー その趣旨でいくと、どこにでもありうる道路構造を持ち込んだだけでは今回のプロジェクトは成立しないのですね。

その通りです。ですから、どうやったらその空気感をまとえるか、つまり、起こりえないことを誘発していくかがポイントになります。

そのために3つのポイントを考えています。

1つ目は、ベースとなるのは公道の延長である、ということです。

特殊な環境をつくっても、それは「スケートパーク」なので、矢萩さんの目指す「まちなかに落とし込む」ことにはなりません。

2つ目は、一般的な道路構成に自由に遊べるレイヤーを差し込む、ということです。

ベースは公道、でもその上に、この場所ならではのレイヤーをつくり、自由にふるまえるようにする。下の図でいうと赤茶色の部分です。

この場所は、どうやって使うのかも、何を置くのかも自由に変えることができます。こういった自由な余地が、これからの道路にも必要になるかもしれません。

平面図図の左側が公道で、右に見える駐車場までの間を敷地内車道が貫く。一般的な道路構造に茶色のエリアを「遊べるレイヤー」として追加するイメージ(資料提供:日建設計)

3つ目は、どう使われるかは想定しきれない、ということをあらかじめ許容しておくことです。日本では、スケートスポットとして注目された瞬間に、スケーターではない人から拒否されますが、海外では、「こう使ったら面白い」ということを共有し、尊重されるようです。その結果、普通の道路では起こりえないモノやコトが誘発されていきます。

具体的な設えだけではないんですね。

そこで、このプロジェクトの最終目標を、スケーターのための施設整備ではなく、村山市のあらゆる人にとってのよき「ローカルスポット」になることに設定しました。

スケートボードにおけるローカルスポットは世界中にいくつもありますが、難しいのは、それらは計画されてつくられたものではないということです。

最低限のルールは設定するが、基本的には使う人の考えに任せるようにしようと思っています。その場の雰囲気や空気感というものは、使う人によって醸し出されるものだからです。

場所をつくりたいのではない。帰ってくる理由をつくりたい

ー 最後に、矢萩さんにプロジェクトへの想いや意気込みをお聞きします。

今回のプロジェクトで、「また行きたくなる空間」をつくりたいと思っています。インタビュー中に何度も言っている「空気感」は、施設だけでつくれるものではありません。集う人たちと一緒につくるものだと思っています。

その空気感をまとった人たちが、市内に広がって、自分たちのエピソードをつくることになるでしょう。それが、やがてまちのエピソードになれば、出ていった人も戻ってきたいと思うだろうし、子どもたちもこの場所にい続けてくれるかもしれません。

私たちの会社は公共工事によってここまで続いてきました。

今回のプロジェクトを実行することによって地域への恩返しと同時に、社員には、地域を考える会社で働いているという誇りを持ってほしいと思っています。

会社の理念である「多くの人々の夢をかなえると共に、我々の夢の実現のために…」を私なりのやり方で形にしたいと思います。

どう考えても不便な村山市に、「帰ってくる理由」をつくりたい。それは施設ではなく、エピソードのある場所や村山が持つ空気感だと思っています。

予備2_tr駐車場でどんなエピソードが紡ぎ出されるのか。それは使う人次第だが、最低限の道路としての機能は整えると話す矢萩さん(資料提供:日建設計)

お話を聞いて

私は、このインタビューを始めるまで誤解していたことがあります。

今回のプロジェクトは、道路活用のプロトタイプ、つまり試作品をつくることだと思っていました。試作品をつくり、精度を上げて、全国にモデルケースとして広げるプロジェクトだと思い込んでいました。

しかしそうではありませんでした。矢萩土建と日建設計が考えていたことは、それとはベクトルの違う「ローカルスポット」の創出でした。そして、そのローカルスポットがまとう空気感を、周囲に滲みに出させ、地域をより愛着のある場所にすることでした。

このプロジェクトが完成した暁には、私もしっかり見に行って、その空気感を体感し、みなさんにお伝えしたいと思います。

集合取材に応じてくれた伊藤さん(左)、矢萩さん(中央)、藤さん(右)(Photo by NAKANO Ryo)
取材・スポンサー協力株式会社矢萩土建 矢萩翔一さん
株式会社日建設計 藤奏一郎さん 伊藤雅人さん
取材場所株式会社日建設計
資料提供株式会社矢萩土建、株式会社日建設計

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