ソトノバTABLE
なぜ日本のまちはウォーカブルと思えないのか|ソトノバTABLE#47レポート前編
街路空間を「クルマ中心」から「ひと中心」へと再構築し、歩きやすく、居心地のよいまちなかをつくることを目指す「ウォーカブルシティ」。
ソトノバでも、2023年6月30日に「ウォーカブルシティ・国際シンポジウム2023」を開催し、ウォーカブルにまつわる様々な動きやトレンドを記事にしてきました。
さらに、2023年にはソトノバ・ラボ内に「ウォーカブルノバ|Places for Walkable CIty」を立ち上げ、日本でのウォーカブルシティのあり方や実践手法を議論、研究しています。
本記事では、「ウォーカブルを支える公共交通と日本の現状」と題して2024年4月17日に開催されたソトノバTABLE#47の様子を2回に分けてお届けします。ゲストに榎本拓真さん(Local Knowledge Platform合同会社)をお迎えし、ソトノバからは、安樂駿作さん(Plat Fukuoka cycling/ソトノバ)と中野竜さん(ランディクト/ソトノバ副編集長)が登壇。都市生活機能として必要不可欠であるクルマをどのように取り扱い、また、そのクルマに代わる移動手段としての公共交通を考えることで、ひと中心のウォーカブルシティを考察しました。
さらに、日本の都市がウォーカブルと思えない理由や日本の都市が構造的に抱える課題について、交通の視点から議論しました。
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ウォーカブルを支える公共交通と日本の現状|ソトノバTABLE#47
CoverPhoto by NAKANO Ryo
ウォーカブルを進めるために公共交通の議論が必要なワケ
最初に、コーディネーターである中野さんから、なぜウォーカブルの勉強会で公共交通の議論をするのか、その理由が語られました。
クルマの要・不要だけでは、ウォーカブルなまちづくりは語れない。これが今回のテーマだ。(中野さんのスライドより転載)中野さんは
クルマ中心の街路空間をひと中心にすることがウォーカブルシティの基本的な概念なのですが、単にクルマを排除する、あるいは、脱クルマ社会を叫ぶだけでは、歩きやすいまちにはならないのではないでしょうか。歩きやすいまちには自家用車ではない代替交通手段が必要なのではないかな、と常日頃感じています。
とその理由を説明しました。そして、現状のウォーカブルの議論の中に、それほど交通政策の視点がない理由を
わかりにくいから
と断言しています。
中野さんは、その「わかりにくい」理由を次の4つにまとめています。
- 「歩きやすく、居心地のよいのまち」=「通行車両の制限」と捉えられがち
- 全国一律で語られがち
- 話題によってスケール感が混在する
- 新たな交通手段が増えてきた
特に3番目のスケール感の混在については、なるほどと思う視点が含まれていました。わたしは、ウォーカブルと公共交通という題目から「トランジットモール」のような局所的な場の構成をイメージしていたのですが、中野さんは、
商業地の「軸線」、つまり、商店街や沿道小売店舗の賑わいを創出することと、広域の都市政策である公共交通は分けて考えるべきです。いくら軸線を整備しても、そこに行くのにクルマを使っているようでは、あまり意味がない。「リンク&プレイス理論」のように、政策立案や実際の整備などにおいては移動と滞在を分けて、同時にまた、地域や来街者の行動においては移動と滞在をつなげて考えることが必要になります。
と述べ、公共交通はあくまでもウォーカブルシティを「支える」インフラであるという点を強調しました。
日本の公共交通の現在地
続いて、中野さんから日本の公共交通の現状が解説されました。
日本では、この20年余りで大きく移動手段の選択肢が変わりました。かつて公共交通といえば電車・バス・タクシーくらいでしたが、現在では、オンデマンド交通やカーシェア、電動キックボードなど、小規模少量輸送に対応する交通手段が増えました。私たちは、自分の住む地域により密着した小回りの利く交通手段を手に入れたわけです。これらの小規模な交通手段を前提としたまちづくりを考えるべきであると指摘しました。
私たちが手にしたたくさんの移動手段をまちづくりに活用する(中野さんのスライドより転載)その一方で、交通政策と都市政策の融合はなかなか進んでいません。
コンパクト・プラス・ネットワーク施策に基づく「立地適正化計画」と「地域公共交通網形成計画」は、本来は、一体的に連携して推進することでシナジーを生み出すはずです。ところが、それぞれ別の計画として推し進められ、その効果が限定的なものにとどまっている、と指摘しました。
また、国交省のウォーカブルなまちづくりの施策ツールの中に公共交通に関する支援や税制優遇措置などは含まれていない、という点も重要な指摘であると思います。
中野さんは
ウォーカブルなまちづくりをしましょうといいながらも、その街路をどうするかという議論にとどまっていて、そこにどうやって人を呼び込むかまでたどり着けないところが、ウォーカブルが次のステップに進めない理由なのかなと思っています。
と、この話題を締めくくりました。
ウォーカブルなまちづくりのツールには公共交通に関する支援などは含まれていない(中野さんのスライドより転載)クルマ依存度とウォーカブルかどうかは関係ない!?
次に、安樂さんから、「利用者から見たウォーカブルシティと公共交通」として、利用者の視点から公共交通とウォーカブルに対する考えが示されました。
最初に、世界の各都市と日本の都市の交通手段ごとの分担率(ある交通手段のトリップ数がの全交通手段のトリップ数に占める割合)が示されました。
特徴的な各都市の交通分担率。日本は二極化している(安樂さんのスライドより転載)自転車先進都市としても有名なオランダ・アムステルダムでは、自転車の交通手段分担率が38%超と、かなりの割合を占めている一方で、自動車の分担率も23%ありました。コペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドンのような欧米各都市は、自動車分担率が30~40%あり、「クルマ依存度は中程度」という評価ができます。
これに比べ、日本は特異といえる状況にあります。
都市の規模が違うとはいえ、東京23区や大阪市は自動車分担率が10%台で、分担率だけで見ると自動車に頼らない超優秀な都市といえます。また、尼崎市はコペンハーゲン並みの自転車分担率(29%)を誇っている上に、自動車依存率も低い(18%)ようです。
その一方で、宇都宮市は自動車分担率が70%を超え、金沢市も60%を超えています。このように日本の各都市はそれぞれに様々な状況を抱えており、一律な取り組みを行える状況ではないようです。
交通分担率は、ウォーカブルとは関係がない(安樂さんのスライドより転載)安樂さんは、このことから
クルマの依存度とウォーカブルシティとは関連がないことがわかってきました。海外都市でクルマによる移動が20~30%程度あったとしても、ウォーカブルなまちが実現されてることからも、自動車交通が多いからウォーカブルシティがつくれないという理論は成り立ちません。
という読み解きができるといいます。さらに、
クルマへの依存度が高い宇都宮市でも、LRTが開業し駅前空間がとてもよくなっています。また、東京や大阪も道路空間から歩行空間への転換が進んでいます。
私が住む福岡市では、公共交通と自動車が拮抗している感があり、その点において大都市と地方都市、また、その中間にある都市のそれぞれ独自の状況が、「わかりにくい」という議論につながっていると感じます。
と日本の実情を分析しました。
ウォーカブルなまちを目指して移動の選択肢を増やそう
次に、フランス・パリとオランダ・ユトレヒト、福岡・天神の交通を比較する動画が示されました。
左からパリ、ユトレヒト、天神の様子(安樂さんのスライドより転載)パリは近年の15分都市政策において、4車線の車道を2車線にし、自転車道を充実させました。ユトレヒトでは、トランジットモールをつくり、BRTと自転車以外を排除しています。
天神では、日本でよく見る、大量の自動車と充実した歩道を見ることができます。いずれの都市も特徴のある交通環境ですが、歩行者から見ると、大量の移動によって「道路の反対側に渡りにくい」という状況に変わりはありません。安樂さんは、このようなまちの物理的な分断を解消することが、まちづくりと交通政策を一体的に考えるポイントになると指摘します。
道路による分断を解消し、ウォーカブルを線ではなく面として捉えることが必要(安樂さんのスライドより転載)また、安樂さん自身は、自分の子供と都心部に出かける際には自動車を選択するといっています。公共交通では担保できないプライバシーを確保するためだ、と述べました。
自動車には自動車でしか担保できない利点があり、子育て世代は自動車に速達性や利便性を求めていないといいます。このことから、
自動車を含めたあらゆる移動手段を選択できることが重要。適切な流入抑制をして、低速で走る自動車であれば、道路によるまちの分断を少しでも和らげることができるのではないか。
と提案します。さらに、人がまちに「滞在」する理由の75%が、公共交通の待ち時間であるという研究結果から、ほこみち制度を活用して、公共交通を利用する人たちに向けた滞留性を向上させる施設整備の重要性についても提案しました。
ウォーカブルなまちなかと公共交通の接点は滞留空間にある(安樂さんのスライドより転載)後編では、榎本さんの話題提供とクロストークをお伝えします。
(後編に続く)
文責:ソトノバ編集部