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『ひとり空間の都市論』でコロナ禍の都市を議論|リーディングクラブ#3 後編

前編>では、リーディングクラブ#3で扱った南後由和さん著の『ひとり空間の都市論』の概要を解説しました。

<後編>では、読書会で議論された内容についてお届けしたいと思います。

今回のリーディングクラブ#3の議論では、#2の時とは違い、テーマを決めずに、参加者が自由に意見を言い合う中で、議論が進んでいきました。

その中で重要なトピックと思われるものを取り上げて、議論を振り返ってみることとします。


どんな感想を持った?

まずは、都市における「ひとり空間」やコロナを受けた都市のパブリックスペースについて、参加者の感想や問題提起の一部を紹介したいと思います。

  • 「病理のひとり」と「自由なひとり」という対立する二つの「ひとり」がコロナの状況下でどのように捉えなおされるか?
  • コロナの前から、質の高いパブリックスペースはだんだん有料の居場所になる傾向があり、姫路駅前広場のような無料で居心地の良いパブリックスペースの価値が、特に地方では高い。コロナを受けて、テイクアウトが増えると無料で飲食できる空間が都市にもっと必要になるのでは?
  • コロナを経験して再び読んでみると、より人間関係や社会関係資本を結びなおすということも念頭に置きながら、「ひとり」について考える必要があると感じた。
  • 物理空間での人とのキョリの取り方、コミュニケーションの取り方が鈍ってしまっていて、リアルが逆に疲れるということが起こり得ないか?
  • 家から離れたところ、繁華街や学校、オフィスの周りに求めていた「ひとり空間」を住宅の周りにも求め、発見するという経験が増えたのでは?
  • 住宅機能の外部化と内部化の話が本書でも触れられたが、コロナを受けて住宅機能の内部化・高度化が進むのではないか?

やはり参加者の多くがコロナの状況を受けて、都市の「ひとり空間」について考え直し、それぞれの意見を持ったようです。

pasted image 0 (1)miroを使ってオンラインでも複数人が1つのテーブル上で意見や情報の共有・整理を行うことが可能に

住宅機能の外部化と内部化

中でも、本書でも触れられた住宅機能の都市への外部化と内部化について、参加者の1人が住宅の「内爆発」という興味深い概念を示してくれました。元々は、マクルハーンというメディア研究者が提示した「外爆発」と「内爆発」という概念に由来するものですが、それを引用してコロナ禍では、オフィス、子育て、レクリエーションなど従来は都市の中で分散的に担われていた機能がすべて住宅内に押し込められてしまっているという状況を指しています。

筆者の南後さんも本書の中で、外部化と内部化の行き来はどちらもあるということを述べていました。コロナの蔓延が広がる現在は、内部化への偏重があるように感じます。しかし、ある程度落ち着いてきた時には、やはり住宅として受け入れられる機能の限界から、外部化への揺り戻しもあると推測できるでしょう。

住宅や近隣が持つ価値の再認識

次のような意見もありました。

『コロナの前から、コミュニティスペースとしてのキッチンやランドリーが現代的に再評価され、都市におけるパブリックスペースとして人の居場所になっている事例が増えていた。機能を外に出すことで、新たに生まれる価値というものに皆が気づき始めていたとも言える。一方で、コロナを受けて、もう一度住宅が持つ価値を再認識する経験も増えているかもしれない。』

住宅が持つ価値を再認識するという経験が増加しているという点は、多くの人が感じているのではないでしょうか。意外と家の中の過ごし方にもバリエーションをつくれる、バルコニーは意外と居場所に設えることができるなど、住宅の価値を最大限引き出すきっかけになっているのかもしれません。

これまでは自室の中にしか住宅内にひとり空間を求めてこなかった人びとにとっても、バルコニーやポーチ、ルーフガーデンのような空間にひとり空間を見出すことが増えているようにも感じます。

また東京都調布市に住む参加者からは、

『都心に電車で一本だけど、住宅の周りは緑豊かで静かに、十分に暮らせる。鴨長明的な暮らし方ができていると言えるのでは。』

といった声もありました。いわゆる郊外の価値として、これまでは通勤を前提に家族とゆとりを持って住むことに魅力を感じられていましたが、家族構成に限らずそうした郊外の価値は再定義できるかもしれません。

時と場合により「再接続」できる距離の取り方が重要なのでしょう。これはオンラインにおいてもリアルな空間においても共通して当てはまります。社会との距離をいかに上手く取るかを暮らしの中で考えるべきかもしれません。

しかし、そうしたポジティブな側面だけではないでしょう。

次のような意見もあがりました。

『単身者居住の場合、住宅にそうした多様な居場所を設けることは困難である。』

『地方都市に家族と住んでいると、都市の中で自由にひとりになれる空間やサービスが少ない。住んでいる場所や家族構成でひとりの感じ方は変わる。』

本書の第2章でも、現代ではあらゆる住宅タイプにひとりが住む時代になったと述べられており、単身者用のアパートや郊外の戸建て住宅、郊外の団地などの暮らしの中にも「ひとり空間」が必要であることが分かります。

コロナ禍だからこそ、こうした単身居住者や地方居住者がどのように都市に「ひとり空間」を求めるのかを観察するいい機会になるでしょう。そうした観察から、今後リアルな空間に求められる要素があぶり出されるかもしれません。

pasted image 0 (2)miro上で整理された住まいと都市の関係性

人と人のつながりを生む空間

第3章で単身者主義に関して論じられていたように、現在では血縁関係のある家族以外の結びつきを持ち、共存していくことがより一般的になっています。

同様に、一つの会社や組織の一員として一か所のオフィスで働くのではなく、コワーキングスペースやシェアオフィスといった様々な組織の人びとが個人として交わり合う空間も増えてきています。

一方で、コロナ禍ではこうした多様な人びとが一同に会する空間は、規制されてしまっています。その代わりに、家族や同居人との関係はより密接になったようにも感じます。もちろん、逆にストレスを感じて、家庭内で問題が起こっていることもあるでしょう。

コロナという経験を乗り越えた先で我々の生活は、いかに変化するのでしょうか。家族との結びつきを再認識し、それを大事に継続していこうという人もいれば、反動から住宅の外部の都市に「状態としてのひとり」や無作為に集まれる都市のたまり場のような空間をより一層希求する人もいるでしょう。重要なのは、このどちらか一つということではなく、時と場合により選択できるということでしょう。

ここでいうリアルな空間としての都市のたまり場は、第4章でも触れられた従来の都市が持つ遭遇可能性を生む空間のことを指します。

こうして議論は、都市における偶発性や遭遇可能性について展開していきます。

都市における偶発性

オンラインとリアルにおける違いについて議論される中、従来の都市にはたまたますれ違う出会い、ハプニングによる何かしらの接点が起こり得る空間としてのパブリックスペースの価値があるという意見が多数出ました。

自宅にこもって、オンライン会議やオンライン授業だけに出ていては、こうした偶発性はかなり限られてしまいます。

さらに、参加者から面白い指摘がありました。

『学校において最も重要な空間は廊下である。』

教室はそれぞれ授業を受けるための空間、職員室、保健室、体育館など目的を持って準備された空間である一方、廊下はすべての生徒・先生が行き交い、意図されないコミュニケーションやハプニングも起こりやすいというのは想像に容易いでしょう。

『都市に置き換えて、「廊下的」空間はなにかというと、パブリックスペース、街角や駅など移動に伴って体験される空間ではないだろうか。』

リアルな空間で暮らすためには物理的な移動が必要不可欠です。実はその移動には、異なる場所へ動くという手段以外の副次的な効果があり、移動中の都市空間が持つ偶発性の価値に改めて気づかされたと言えるでしょう。

さらに、

『移動には、無目的なスイッチング(オン・オフの切り替え)の効果があった。授業と授業の間、営業先とオフィスの間、自宅とオフィスの間など。オンラインベースになると、スイッチング自体が目的化された行為になり、疲労してしまう気がする。』

『付帯的な活動であることが重要で、遊び・余白の時間・空間として移動は価値を持つ。』

こうした意見も出ました。

スイッチングの重要性

都市空間において移動することがスイッチングの効果を持つ一方で、オンラインベースの暮らしではどのようにスイッチングすることができるだろうかという議論も進みました。

『例えば、家の中で扉を開ける、作業部屋を変えるなどスイッチングを促す空間的な要素が必要である。また、中間領域のような空間の重要性が浮かび上がった。』

前述の住宅の空間価値についての議論にも繋がりますが、オンラインベースの暮らしには、住宅や近隣でスイッチングが出来る空間が必要になると思います。

一方で、

『オンラインベースになると同時に異なる会議や授業に出たり、二つのことを並行して行う同時性や並行性が増した。』

という指摘もありました。

しかし、常時接続することが可能となり、なかなか社会と他人と切断する機会を設けにくいという一面もあるでしょう。接続のリテラシー、他人や社会との適度な距離の取り方、意図的なスイッチングが必要になるのではないでしょうか。

住宅内に庭やバルコニー、作業部屋、書斎など多様な場所を持つことや近隣に散歩やランニングコースになる緑地や公園、少し作業のできるカフェや図書館などの存在価値はより一層増し、住宅の価値にそうした近隣環境の豊かさが反映される傾向も増長するかもしれません。

さらに、学生間やある企業では、オンラインで雑談部屋をつくったり、オンラインスクランブルといいう名前で誰でも入ってこれる無目的なトークルームをつくってURLを広く公開するなどの斬新な試みも見られるようです。こうしたオンラインならではの無目的空間の創出も今後は重要になってくるではないでしょうか。

しかし、

『五感を喜ばせるようなシーンがオンラインでも可能になれば・・・』

こうした切実な声があるのも現実です。リアルな空間でしか体験できない五感で感じる空間価値も我々の暮らしには必要不可欠です。

pasted image 0 (3)リアル空間とオンラインの違い(作成:DAICHI MATSUMOTO)

「選択できる」ことの豊かさ

オンラインとリアルの違いについて議論している中で、最も重要な指摘だと感じたのは、「選択できる」ということの豊かさです。

オンラインで便利になる、効率的になることが存分にあり、それらはコロナが落ち着いた後も継続されるべきですが、あくまで選択肢の一種として増やすということが良いのではないでしょうか。

従来の都市が持つパブリックスペースの価値や移動することの価値、一方で住宅や近隣の価値を再認識できたことがコロナを経験している中での貴重な学びだと思います。

議論のまとめとして、オンラインでもリアルでも、他人や社会との適度な距離を取りつつ、多様な選択肢の中から「状態としてのひとり」を選択できることが重要だといえるでしょう。

コロナの経験を糧により豊かに都市を暮らすために

本書は、社会学の観点から建築や都市の領域にも踏み込んだ筆者特有の立場で都市における「ひとり空間」について書かれたものでした。

概要については前編で解説した通り、「ひとり空間」を語るための3つの軸とそれに関する様々な切り口を与えてくれました。

読書会では、コロナ禍という特殊な状況における都市の捉え方の変化や考察、さらにはコロナを経験した後に我々の暮らしがどのように変わっていくかという点が議論の中心になりました。

議論をしていて感じたのは、「ひとり空間」というトピックだけに議論が留まらず、他者の存在や移動、パブリックスペース、住宅など都市での暮らしに関わる様々な論点が出たということです。これはまさに、本書が与えてくれた様々な切り口を元に議論を初めたことに寄与しています。

一方で、筆者も最後に

『都市は、つねにすでに「ひとり都市」としてある。であるならば、肯定と否定、閉じると開く、切断と接続の二者択一ではなく、それらのあいだに、どのような「ひとり空間」の形がありうるかを模索し続けなければならない。都市の「ひとり」と「みんな」のどちらかだけのためではなく。』

と述べていたように、まさに選択できることの豊かさが都市での暮らしの豊かさに繋がるのです。コロナ禍をきっかけに、もう一度自分の暮らし方や都市空間やその使い方に目を向け、豊かに「ひとり空間」を見つけ出すことを楽しんでみるのはいかがでしょうか。

pasted image 0次回の課題図書は参加者の推薦本の中から、投票で決定

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