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『ひとり空間の都市論』は何を語ったか?|リーディングクラブ#3 前編

4月に行ったソトノバリーディングクラブ#2において小さな空間から都市をプランニングするを扱って議論した後、次の課題図書に選ばれたのが、社会学の都市・建築論を専門に研究されている南後由和さん著の『ひとり空間の都市論』です。

2020年5月21日に読書会を開催し、本書を手がかりに展開した議論をまとめていきます。

まずは今回の<前編>において本書の概要を解説していき、<後編>にて議論の様子をレポートします。


ソトノバ・コミュニティでは、読書を通じてパブリックスペースや都市に関する知見を得たり、議論することを目的としたクラブ活動「ソトノバリーディングクラブ」が2019年に発足しました。2019年年末にはキックオフイベントとして「2019年のパブリックスペース本を振り返る会」を開催し、2020年から2か月に一度テーマ本を取り上げ、読書会でディスカッションを行っています。

『ひとり空間の都市論』の概要

本書の、<あとがき>において筆者が都市における「ひとり空間」に着目した経緯とが述べられているので紹介します。

『海外から帰国した際に感じる、日本の都市における飲食店や娯楽施設などの「ひとり空間」の多さ。モバイル・メディアの普及にともなう、都市の「ひとり空間」の増殖。この二つの事柄が、都市の「ひとり空間」に対する興味の発端としてあった。』

さらに、2011年の東日本大震災以降、議論の中心になっていた事柄にも触れています。

『震災以降、「みんな」「つながり」「コミュニティ」の重要性を説く議論が溢れるようになった。・・・これらの議論には傾聴すべき点もあるが、本書では「みんな」「つながり」「コミュニティ」といった言葉を安易に口にする一歩手前で、都市と「ひとり」の分かちがたい関係について考えなおしてみたいと思った。』

このように近年、特に都市における「コミュニティ」に人々の関心が集まる風潮にあり、都市において本来は正常であったはずの「ひとり」でいることについての議論が不十分ではないかと、著者は考えたのです。

では、筆者が本書で都市における「ひとり」をどのように捉えたのでしょうか。

『単身者でいることを無批判に肯定するのでも否定するのでもなく、空間という切り口から、都市における「ひとり」の生態を記述したいと思った。・・・「おひとりさま」現象が空間としてどう立ち現れているかに問題関心があり・・・都市の成り立ちと結びつけて考えてみたかったのである。』

日本の都市において「ひとり」でいるという現象が、どのような空間の元に現れていて、そのことが都市の成り立ちにどのように影響を受けて起こっているのかという点が描かれています。

一般的な社会学として人だけに着目するのではなく、空間という切り口から都市における「ひとり」を記述したことに、本書の狙いがあるようです。

本書の大きな構成としては、「ひとり空間」について、住まい(第2章)、飲食店・宿泊施設(第3章)、モバイル・メディア(第4章)の3つの軸から具体的な都市の諸相を観察し、考察されています。

終章では、それら3つの軸を横断する事例として”Airbnb”を取り上げ、P2PやIOTプラットフォームが重層化した都市における「ひとり空間」の行方が展望されています。

ひとり空間とは何か?

第1章では、主題に入る前提として、「ひとり」・「ひとり空間」とは何かについて説明されています。

『空間・時間の占有の課金対象となる単位である「一人」も、孤独・自由・独身を意味する「独り」も、都市の「ひとり空間」について考えるうえで重要な意味を含んでいる。本書では、これら一人と独りの双方の意味をもたせ、「ひとり」と表記する。』

こうした二つの意味を包含した言葉としての「ひとり」を筆者は提示している一方で、この「ひとり」という言葉の裏側には世代、階層、ジェンダー、職業など様々な属性の差異が覆い隠されているとも指摘します。

そこで、筆者は「ひとり」を属性としてではなく、「状態」として捉える見方を提示します。

『「状態としてのひとり」とは、一定の時間、家族、学校や職場などの帰属先の集団・組織から離れて、ひとりであるあり様を指す。』

では、「ひとり空間」とはなんでしょうか。

『「ひとり空間」とは、一定の時間、ひとりの状態が確保された空間を指す。ここに都市の「ひとり空間」という限定を付け加えるならば、それは、一定の時間、ひとりの状態が匿名性のもとで確保された空間を指すことになる。』

「ひとり空間」は、「状態としてのひとり」になることで出現する空間だということです。また、その際に、匿名性を帯びているということが都市における「ひとり空間」が持つ特徴だと言います。

『互いに「匿名性」と「精神的な距離」を確保することによって、人びとは孤独のみならず自由を感じることができる。』

筆者は社会学者ジンメルの言説を取り上げ、地縁のしがらみや人間関係の濃い農村や田舎とは異なる都市における孤独と自由を同時に経験できる「ひとり空間」の可能性について触れています。

都市生活者は、都市の「ひとり空間」を巧みに発見し、使いこなすことで、都市の中で匿名性や精神的な距離を保つことができる自由と孤独を楽しんでいると言えるでしょう。

皆さんも、自身の生活の中で無意識のうちにそうした「状態としてのひとり」を求めているのではないでしょうか。

住まいとひとり空間

第2章では住まいをテーマに都市における「ひとり空間」が考察されています。

これまで日本の住宅タイプの歴史を上田篤の『住宅双六』(1973年)や都築響一の写真集『TOKYO STYLE』(1993年)などを参考資料に挙げながら、整理し、「ひとり住まい」が行われてきた住空間について語られています。

現代の都市におけるひとり住まいについて、3つの特徴が提示されます。

『第一に、現代の都市における「ひとり住まい」の選択には、交通・通信などを介した外部空間への移動可能性が重視される・・・第二に、住み替えを検討する場合、その移動可能性には、経済資本と社会関係資本が複合的に作用する・・・第三に、従来は住宅を所有すること、すなわち住まいのモビリティを縮退させ、近隣や地域との体面的な持続可能的関係を構築することが、社会関係資本を蓄積する条件であったが、その条件が緩和されるようになった・・・』

さらに現代の住まいかたについて、あらゆる住宅タイプにひとりが住む時代という表現を用いています。

本書では触れられていませんが、最近ではアドレスホッパーという家を持たない暮らし方をするも出現しており、都市におけるひとり住まいの様相は今もなお変化している言えるでしょう。

また、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響により、住まいかたに影響が出ることも容易に想像できます。住まいと都市における「ひとり空間」は、密接な関係を持つと言えるでしょう。

この章では、ケーススタディとして、⑴個室群住居ー脱家族・脱私生活、⑵中銀カプセルタワービルー移動する生活様式が取り上げられています。

飲食店・宿泊施設とひとり空間

第3章では、飲食店や宿泊施設のような住宅の外側にあるサービス空間に焦点を当てています。都市における暮らしは、住まいだけではなく、これらの外部サービスに依存しているのです。

コンビニが普及した時代には、住宅機能が外部化したと言えますが、一方で従来は住宅の外部にあった機能を住宅内に取り込んできたという事実もあります。たとえば、銭湯やコインランドリーなどが減少したのはそうした内部化の現れです。

住まいかたと同様に、COVID-19の影響を受け、自宅でのテレワークが急激に普及し、住宅がまるでオフィスの役割を果たし、お持ち帰りやUber eatsなどの食のデリバリーサービスも増加しています。これらは、再び外部サービスの内部化を進めることになるかもしれません。

『住宅機能の外部化であれ、内部化であれ、都市における住まいの変化と商業空間ー飲食店や宿泊・娯楽施設などのサービス業の空間を含むものとするーの変化は連動している』

いずれにせよ、飲食店や宿泊施設といった商業空間の様相を捉えることは、都市における暮らしを知るためには不可欠な視点なのです。

この章では、中根千枝、神島二郎、上田篤など先達の文献を参照しながら、「ウチとソト」や「単身者主義」についても論じており、その中の一節を紹介します。

『集団・組織の「ソト」に出ると孤立性を高める傾向にある日本人は、「ヨソ者」とコミュニケーションをはかることに苦手意識を抱きやすいといえる。このことは、日本の都市において、「ひとり空間」としての飲食店や宿泊・娯楽施設が多いことと無関係ではないだろう。

 だからといって、「ひとり空間」としての飲食店や宿泊・娯楽施設において、必ずしも孤立性を高めた人びとがバラバラに存在しているとはいえない。・・・カプセルホテル、インターネットカフェ・漫画喫茶などの個室では、人びとが互いに静かに振る舞う、視線を合わせないなどの規範を共有し、「直接的な社交性なき小集団」を形づくることで、ゆるやかな連帯意識を醸成しているからだ。』

都市生活者たちは、商業空間に「ひとり空間」を求めますが、それはただ独りになりたいだけでなく、見知らぬ他人となんとなくゆるかなつながりを感じつつ、「状態としてのひとり」を体験できる空間なのです。

この章でのケーススタディとしては、⑴牛丼屋ー密接距離、⑵半個室型ラーメン店ー非関与性、⑶カプセルホテルー連帯意識・鉄道依存の都市構造が取り上げられています。

モバイル・メディアとひとり空間

第4章では、モバイル・メディアが都市の「ひとり空間」に変化を与えたということを論じています。その変化を考える上で、重要な点が以下のように8つ示されています。

①常時接続社会の接続指向と切断指向
②パーソナライズする世界とパーソナライズされる世界
③仕切る空間から仕切られる空間へ
④匿名性・異質性の減退
⑤マッチング精度の向上
⑥検索不可能性の希求
⑦個人の複数性とスイッチング
⑧細かい時間単位の同時並行的なミクロ・コーディネーション

この中でも現在のCOVID-19の状況を受けたまさに今、興味深いものについて、少し説明を加えてみましょう。

①常時接続社会の接続指向と切断指向

いつでもどこでも社会につながることができるというSNSなどが発達した一方で、逆に常時接続してしまう状況が発生し、そこから逃れるためにあえて自らを切断し、ひとりになるという切断指向が生まれるということです。

『「孤独」を避けたい思いと、常時接続の状態から「自由」になりたい思いがせめぎ合っている。』

COVID-19を受け、住まいの中でも常時、会社や学校と接続し、切断されることがなくなってしまい、息苦しさを感じている人も多いのではないでしょうか。そうした時、住まいの中や近隣に、社会から切断し、「状態としてのひとり」になれる空間や時間が以前よりも必要になると考えられます。

テレワークが進んだ社会においての自宅周りの「ひとり空間」の現れ方には、特に変化が起こるのではないかと想像してしまいます。

⑤マッチング精度の向上

『SNS上では、趣味・嗜好を共有した同質的な他者と居心地のよいコミュニケーションをはかり、浅く広い連帯感を感じることができる。ただし、SNSを通じた他者とのコミュニケーションは情報空間に閉じられたものではなく、物理的な都市空間での出来事とも連動したものである。』

SNSが発達した現在では、あらかじめ興味・関心の似通った人びと同士がつながりやすい状況がデジタル空間ですでに構築されており、時間と手間のかからない効率的な交遊が可能になったといえるでしょう。

しかし、こうしたつながりを生むための空間は、SNSが発達する以前はどのようなものだったでしょうか。

『異質な他者たちが集い、趣味・嗜好を共有する場として、都市には「たまり場」が形成されてきた。・・・とりあえず足を運んでみる必要があったし、・・・「遭遇可能性」に満ちた場所であった。・・・そこで交遊を深めるには、・・・時間と手間を要した。』

『SNSは、趣味・嗜好を共有した「ひとり」同士が効率よく出会うことのできる「マッチング精度」を上げたといえる。その一方で、・・・そのネットワークの外側にいる人びとの出会いを難しくし、都市空間における遭遇可能性を減退させた。』

SNSによるマッチング精度の向上によって、従来都市が持っていたはずの遭遇可能性を減少させ、あらかじめのスクリーニングが可能になったということです。

この遭遇可能性については、後編の議論内容でも話題に上ります。

8つの点から整理された、メディアの浸透にともなう「ひとり空間」の編成の諸相が、都市の具体的な空間としてどのように現れているのでしょうか。

この章のケーススタディとして、⑴ひとりカラオケ店ー集団向けコンテンツの個人化、⑵カプセルホテルの新陳代謝ー女性・外国人客の増加、⑶コンセプト型ホステルーフィルタリング・SNS映え、⑷多機能型トイレー閉じつつ開かれた中間空間が取り上げられ、示されています。

98362482_246770306392358_7968005159827537920_n今回もオンラインで読書会!前回よりも人数も増えて、議論も弾みました。

都市の「ひとり空間」の行方

終章では、前述の3つの軸を横断する事例として”Airbnb”を取り上げ、P2PやIOTプラットフォームが重層化した都市における「ひとり空間」の行方が展望されています。

まとめとして、鴨長明の暮らしぶりやイーフー・トゥアンの言説を参照して、以下のように述べています。

『長明もトゥアンも、自己と対峙し、自己と他者の関係を見つめなおすうえで、ひとりでいる状態が確保された空間に身を置くことを重視しつつも、他者から切断した状態のままであることは是としなかった。「ひとり空間」は、他者との関係においてしか生じえない。』

さらに、この他者との関係の取り方が重要な点であると指摘されています。他者とのつながりかたをゆるやかな仕切りによって、良い塩梅で保つことが、都市において「状態としてのひとり」を楽しむためのコツと言えるでしょう。

『都市とは、多様な「ひとり」が異質性を保ったまま共存するための実験室である。だが、都市の「ひとり」をめぐっては、それをある種の「病理」として否定的に捉える言説と、「自由」として肯定的に捉える言説に分断されてきた。・・・都市の「ひとり」は、善悪ではなく「正常」なことである。都市は、つねにすでに「ひとり都市」としてある。であるならば、肯定と否定、閉じると開く、切断と接続のどちらかの二者択一ではなく、それらのあいだに、どのような「ひとり空間」のかたちがありうるかを模索し続けなければならない。都市の「ひとり」と「みんな」のどちらかだけのためではなく。』

こうして締められる本書に対して、読書会ではどのような議論が展開されたのでしょうか。

その様子は後編でお届けしたいと思います!

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