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公共性とモノ、そして空間の可能性【齋藤純一インタビュー:後編】

ソトノバを考えるときに必ず登場する「パブリックスペース」という言葉。そのパブリックとは、公共性とは何か?という問いに解を示した『公共性』をご出版された齋藤純一先生に、ソトノバ泉山編集長がインタビューし、パブリックスペースの公共性について考えます。今回は、そのインタビューの後編です。

インタビューの前編はこちらからどうぞ。

モノが、民主的な意見交換のプロセスを生む

泉山:
「あいだ」というお話を伺って、コペンハーゲンのヤン・ゲールさんがパブリックスペースを表現する際にLife Between Buildingsという本を出していたのを思い出しました。

齋藤先生:
そのin-betweenという言い方、アーレントはそのような言い方をしますが、これはセグリゲーションとはまさに反対の言葉です。SNSみたいなものは、エコー・チェンバー (Echo chamber)、すなわち、自分の声があらゆる方向から増幅されて返ってくる閉じた空間、一見開かれているようでいて実はかなり閉鎖的で同質的な空間です。とするとウェブ上の関係よりもむしろ、モノとか作品を媒介とした関係の方が、複数性や多元性が成り立つかもしれないということになります。例えば、津波の後どのように災害に対して備えていくかを考えるとき、いろいろな意見が出ますよね。国や県の意向もありますし。

 

人によってこれまでの経験の仕方も違うし、これからの将来に対する「どのような生き方をしていくか」というイメージやアスピレーションも違う。各々多様だと思うんですよ。ただ資源は限られているので、全部は同時に実現できません。でも何らかの形で建設する必要がありますから、そこに民主的な意見交換・意見形成のプロセスが生まれてきます。人々が何をつくっていくかということをめぐって、結びつくわけですよね。異なった意見を持ちながら、関係する場がでてくる、媒介されていく。モノがそういう機能を果たしていくところが、おもしろいと思います。

 

聞いた話ですが、宮城県沖の島に4つの集落があって、ほとんど今までは没交渉だったそうです。コミュニティが並存し、それぞれが今までのやり方でやっていました。しかし震災後、どのように島全体を再興していくかというときに、関係を持ち始めたのです。物質的に自分たちの生き方を左右するようなモノをどう作っていくのか、維持していくか、壊すのか、例えば震災のメモリアルとして残していくのかどうかなどをめぐって、意見交換が始まりました。今までなかった関係、しかも結構政治的な関係がそこでつくられていくわけです。そういう「あいだ」にある具体的なモノをめぐって意見を交換し議論していく。デモクラシーから考えても、なかなか面白いと思いますね。

規制緩和とパブリックスペースの活用、そこにある理念

泉山:
近年、国交省の方で、道路法や都市公園法、河川法などの法律の規制緩和が増加しています。小泉政権以降にパブリックスペースの規制緩和が進み、民主党政権に代わってから規制緩和が進みました。道路空間でオープンカフェができたり、都市公園や公開空地でビアガーデンなどの有料イベントが行われたりするようになっています。最近だと、国家戦略特区がでてきたことで、更なる規制緩和が行われ、公園に保育園や社会福祉施設、サイクルポート、観光案内所などがつくられるようになってきました。法律ができてすぐなので事例はまだ少ないですが、最近は公園の整備も、民間にParkーPFI※のような形で委ねようする動きがあります。名古屋の久屋大通公園はその一事例です。

 

※PFI(Private Finance Initiative)とは、民間資金・ノウハウを活用して、公共施設の整備や運営を行うことで、効率的で効果的な公共サービスの提供を図ろうとするもの。

 

規制緩和によって生まれた制度を使い、民間主導でパブリックスペースの整備を進めていくことは、好意的に受け止められている印象です。例えば、東京の南池袋公園では、カフェや芝生ができて子ども連れのお母さんなどがたくさん利用しています。大阪の天王寺公園(てんしば)も、園内のカフェの収益で芝生を管理しています。これらは、行政の維持管理負担を軽減し、利用者による公園の利用頻度増加にもつながりますが、他事例では理念のない制度の使われ方がでてきているのも事実です。このような状況に対し、齋藤先生の公共性の観点からはどのように感じられますか?

後編泉山さん


泉山編集長が、現在のパブリックスペースの活用事例について熱く語ります

齋藤先生:
これに関して私は詳しいことは分かりませんが、使い方というのは、模倣されますよね。町おこしのためにイベントの開催とか、B級グルメとか。人は来るのかもしれませんが、非常に一過的な盛り上がりで終わっていって、持続的な関係を築けていない気がします。一緒に何かをやったことが、一緒にやった人たちに戻ってくる、日々の関係にフィードバックされてくるということがあるのかどうかですよね。自分たちのこれまでの取り組みをどのように評価して、自分たちのまちやコミュニティを今後どうしていくのかということが、フィードバックとして戻ってくればおもしろいと思います。現状は、一過性のイベントを繰り返して消耗し、魅力も減少していくというパターンがあるのかなと思いますね。

 

道路に関しても同じようなことがいえます。道路は車中心で成り立ってきたわけです。それを変えるように、例えば日吉だと季節ごとにフリーマーケットをやったりしますが、イベントが終わればまたもとの道路に戻ってしまいます。

泉山:
そうですよね。イベントだと土日だけとか。

齋藤先生:
そうそう。あんまりイメージが変わらないんですよね。車道と歩道との間にはブロックを積んで、歩行者はそこから出ないように、車はこちら側を走って、渡れるのは横断歩道だけ、というように、アーキテクチャーというのは規律訓練をしているわけですよね。それでも、近年だいぶ変わってきましたかね。

泉山:
そうですね。

齋藤先生:
車中心、車優先というように、アーキテクチャーで訓練されているというところがありますよね。そういう空間の持っている規律をとらえ返すような使い方がでてくれば、なかなか違うのかなという気がします。道路の占有といっても季節ごとのフリーマーケットだけではなくて。なにかおもしろい事例はありますかね?

泉山:
その点に関しては、サンフランシスコのマーケットストリートの整備計画がおもしろいのではないかと思います。まだ実現はしていませんが、歩道と車道の間の部分を「ストリートライフゾーン」と呼び、地域の特色や需要に応じて多元的に使おうとしています。例えば、飲食店が多い地域では、ストリートライフゾーンをカフェやラウンジとして使い、バス停が必要な地域ではここにバス停置くという感じで、沿道の用途や地域特性によって歩道やストリートのあり方を変えようとするものです。

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ストリートライフゾーンは、人々のストリートライフを生み出す街路樹やストリートファーニチャーなどの「コネクター」と、そこでの人々の活動や交流である「ノード」によって構成されます(出典:http://bettermarketstreetsf.org/docs/FINAL_BMS_OUTREACH_BOARDS_8-10_Streetlife.pdf

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ストリートライフゾーンの一例(出典:http://bettermarketstreetsf.org/docs/FINAL_BMS_OUTREACH_BOARDS_8-10_Streetlife.pdf

齋藤先生:
これはヨーロッパ的ですよね。私的なものが公的なものに張り出していって、公共的なアクセスを可能にしていく。そこにテーブルとイスがあればそこでコーヒーを飲んでおしゃべりをして、それが風景になっていくという。

泉山:
そうですね。例えば、日本の最近の事例だと、丸の内仲通りで12時から(終了時間は平休日で異なる)車を通行止めにして、毎日、大丸有エリアマネジメント協会さんがテーブルとイスを出して、キッチンカーを呼ぶという丸の内仲通りアーバンテラスという取り組みがあります。ワーカーが多い地域なので、ワーカーの人たちが飲食をしたり、土日はイベントをしたりといったように使い方です。これは国家戦略特区の制度を利用しています。

後編二人パソコン


規制緩和による柔軟なパブリックスペースの使い方について議論中

パブリックなモノの否定的イメージを変える、空間の可能性

齋藤先生:
このような新しい使い方ですが、おしゃれなところに偏っている感じがします。

泉山:
それはよく言われます。女性が好むものをつくっていくと男性も好むだろうと考え、ターゲットを女性に設定することは多いです。日本の商店街では長机にパイプいすを出してイベントをやることがよくありますが、最近はそうではなく、インスタグラムの影響もあってか、若い人は見た目がいいものに引き寄せられる印象があります。

齋藤先生:
映像になるかどうかっていうことですね。まあきれいでしょうから。

泉山:
やる側としては、やはりその点を重視する傾向がありますが、一方で、お金を持っている利用者でないと使えないのではないかと危惧する議論もありますよね。

齋藤先生:
アメリカが典型ですが、パブリックなものというのはイメージが悪いんです。衰えていくもの、劣化したもの、貧しいもの、きちんと手入れされていないものなどというイメージがあります。お金と力がある人はそこから自分を排除して、例えばゲーテッドコミュニティに入っていく。取り残される空間としてパブリックなものがあるわけです。パブリックなインフラストラクチャーが放置され、見捨てられていくということは、たぶん日本でも起こっているでしょう。ただ、そこを使わざるを得ない人もいます。みんながアクセスできるがゆえに質的に劣ったものという公共的なものに対する否定的なイメージを、おしゃれで人が集まるところだけではなく、違うところでも覆せる動きがあればおもしろいと思います。

泉山:
空間整備の力ということですよね。関連すると、先ほどお見せした南池袋公園の事例はもともとこの公園はホームレスの人々のたまり場だったという話があります。公園内に変電所を工事するということで、ホームレスの人々はいったん追い出されました。そしていざ工事が終了すると、現在のように整備されきれいな空間になっていました(変電所は地下化)。それゆえホームレスの人々は、別の場所へ移動しましたが、その場所が活用されれば、また別の場所へ移動していくことになる。都市や地域のパブリックスペースが活用されればされるほど、そういった課題は出てきます。

齋藤先生:
取り合いになっているような状況なのですね。

泉山:
この前もある別の行政の方から、「広場にホームレスの方がたまるので、マルシェなどをやってどうにかしたい」みたいなことを言われました。行政の方がホームレスの問題を本質的に考えないとすると、誰が考えるんだろうなと思うんですよね。

排除の歴史と、時間を帯びた空間

齋藤先生:
それは、最初に申し上げた公共性における時間的側面に関係すると思います。前回の東京オリンピックのとき、汚いものを整備したり、排除したりしてジェントリフィケーションが起こりました。

 

どこの公共的空間にも歴史があります。誰かを追い出して作ったということもあると思います。それは完全にダメというわけではないけど、やはり誰かを排除したり、何かを失ったりしたことによって初めて、その空間がつくられたということに目がいく必要があると思います。空間的な空間ではなくて、時間的な空間、時間を帯びた空間ということですね。

 

しかし、この場所にかつて誰がいたのか、何があったのかを、空間から理解するということを実現するのは、なかなか難しいと思います。単純なモニュメントや記念碑はあちこちにありますが、なかなか関心を引きません。

 

そのような排除や周辺化を、私は「ディスプレイスメント」と呼んでいます。ディスプレイスメントは、単に場所から排除していくということだけではありません。広い意味での資本、人間関係や社会的資本、文化的資本、それらも場所とともに失われます。福島ではディスプレイスメントがかなりの規模で起こっていて、かつての状況をほとんど取り戻せないというところもでてきています。

後編齋藤先生


重厚な内容をわかりやすく説明してくださる齋藤先生

泉山:
その時間を学んで、それを場所や空間に翻訳していくという。

齋藤先生:
そうですね。それは政治的な力にもなります。『パブリック・シングス』の本の最初の方で紹介されている事例で、カナダで石油のパイプラインの建設に抵抗するファーストネーション(先住民)の話があります。彼らは建設に反対するために、ある橋を封鎖します。その橋は、彼らの一世代もしくは二世代前の人たちが働いて建設したものだそうです。我々の先祖がつくった橋というポジティブなイメージが、橋にはあるんですよね。そしてそこで、彼らは抵抗運動を展開している。単なる橋ではなくて、誰がつくったとか誰が働かされたとかっていうことが付帯しているのです。

泉山:
それに関係するものとして、プレイスメイキング(Placemaking)というものがあります。東京は特にそうだと思うのですが、公園や道路に対して利用者の愛着が少ない。住む場所はどこでもいい、たまたまその場所だったということがよくあります。このような状況に対し、プレイスメイキングは、空間をつくる過程やできた空間を育てていく時に、利用者の愛着を育て、お気に入りの場所にしてもらうことを目指しています。

齋藤先生:
それはそう思いますね。私たちは、そんなにノマディックに生きられるわけではないので。やっぱり自分の住んでいるところには愛着を持つと思います。東京の東墨田は、もともと皮革産業が行われていた被差別部落のところです。古くは浅草にあったみたいですが、明治の初めに強制的に東墨田に移されました。その後、国や自治体が再度、別の場所への移動を命じます。その背景には少なからず蔑視もあったでしょう。東墨田の人々は、そのようなディスプレイスメントに抵抗し、自分たちの場所と暮らしを守りました。今でも東墨田にはそのコミュニティがあります。この地域では地元を歩くツアーなどの催しがあり、新しく越してきた親が子どもと一緒に参加し、このような歴史を学んだりしています。

 

私は、これをおもしろい事例だと思っています。どのように学ぶのかという点でね。ネット上には、被差別部落に対する差別の言葉があります。でも、先のツアーは、実際に人を知る機会を提供しているわけです。そうすると、いろんな具体的な人がいることが分かります。それがモノ、現物であるということです。ネット上で燃え上がる言葉ではないんです。まだあるんですよ。行かれたほうがいい。

泉山:
そうですね。私も今度訪問したいと思います。貴重なお話をどうもありがとうございました。

—–インタビューここまで—–

いかがでしたでしょうか。
インタビュー後編では、前編で齋藤先生にお話しいただいた、①公共性における時間軸、②経済的格差の空間的翻訳、③モノという視点という3点が、より具体的な形で明らかになったと思います。

インタビューにでてきたように、時間を帯びた空間によって、そこで起こったディプレイスメントの事実を知ることができます。もちろん、ディスプレイスメントそれ自体を肯定することは出来ませんが、その事実を市民が知ることで、今後のパブリックスペースのあり方を問う民主的な意見交換につながっていくのだと思いました。ゆえに、私たちは日々ソトノバの使い方を考えているものとして、どのようにして時間を帯びた空間を創造していけるかを考え実践する必要があると思いました。

また、ディスプレイスメントを含め、空間のもつ時間的側面を理解することは、その場所を自分が使うこと、その場所で自分が生きていることに対して、新たなかつ大きな意味を与え、場所への愛着にもつながる気がしました。

All photos by Ayako Honzawa

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