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明治の土木遺産をパブリックスペース活用!10年間「思い出」を紡ぎ続けるカフェとは
近年、ミズベリングなど河川の水辺活用が活発に行われています。そんな河川区域に残る明治時代の土木遺産が10年以上もパブリックスペースとして活用されている事例をご存知でしょうか。
今回、ご紹介するのは滋賀県大津市の瀬田川にて洗堰(あらいぜき)という土木遺産を巧みに活用し、毎月1度だけ出現する「洗堰レトロカフェ」というちょっと風変りなソトのカフェです。
2020年2月に行われたソトノバ・アワードでもプレゼンされた洗堰レトロカフェの活動に、同じ水辺の活用に取り組む筆者は興味津々!
ぜひ、現地を見て、その取組みの全貌をお伝えしたいと思い、コロナ禍の中、感染予防をしっかりして滋賀県に取材に行ってきました。
カフェオーナーの佐々木和之さん、運営をサポートする学生スタッフ、当日いらっしゃったお客さんとお話しながら、洗堰レトロカフェの取組みの魅力について探ってきました!
Contents
洗堰(あらいぜき)とは?
洗堰というのは、土木構造物の一般名称で、主に川をせき止め、その上を水があふれて流れるようにしたものを指します。今回取材した洗堰レトロカフェが月に1度現れるのは、琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川に設けられたレンガ+石造の「旧瀬田川洗堰(南郷洗堰)」のまさに上部です。
旧瀬田川・洗堰の歴史
少し歴史をおさらいすると、明治29年(1886年)の琵琶湖大洪水をきっかけに、流量を増やすため瀬田川の川底を掘る工事が始まりました。雨が降らない時に流量が増えすぎないように、洗堰を設けて流量を調節し、水をためる役割も担っていたのが、明治38年(1905年)に建設された「旧瀬田川洗堰(南郷洗堰)」です。
幅広い瀬田川の途中までせり出すように一部だけ残された旧瀬田川洗堰(南郷洗堰)(Photo by DAICHI MATSUMOTO)当時は人力で堰の中央部に空いた穴から木の角材(名称:「角」)を1本ずつ落として、1日程度かけて流量調節を行っていたそうです。今もその穴と角をレトロカフェ開催時には見ることができます。
洗堰の意匠デザインも着目ポイントで、石造の土台が水が流れてくる上流方向は矢の先のように尖っていて、下流側とは非対称なデザインとなっています。重厚感のある石造でありながら繊細で機能性のある意匠を持ち合わせていて、よく観察するとクールな面持ちです。
こうした一つ一つの細かい点に近代治水の歴史を感じることができるのも土木遺産としての空間価値なのでしょう。
洗堰を残すという先見の明
昭和36年には、少し川下に新しいコンクリート造の「瀬田川洗堰」(厳密にいうと洗堰ではなく、機械式の堰だが固有名詞としての呼称)が誕生し、旧瀬田川洗堰は約50年の役目を終えることになります。
しかし、取り壊されることはなく、明治の土木構造物の一部が両岸から川にせり出したままの状態で保存されました。2002年に土木学会の推奨土木遺産に選定された河川区域内の河川管理施設であり、普段は立ち入り禁止となっています。
活動を主導している佐々木さん曰く、
『なぜ一部だけを保存したのかその経緯は明らかではないですが、歴史的な価値のあるものを後代に残すという発想が昭和の当時に具現化していたと思うと、非常に素晴らしいことですね。』
と、先見の明ともいえる歴史的な判断に感嘆されていました。その想いが今、佐々木さんを中心に活動に関わる人びとによって受け継がれていると言えるでしょう。
思い出をつなぐ「カフェ」という仕掛け
では、なぜ佐々木さんはこの場所で月に1度のカフェをオープンしているのでしょうか。その活動に込められた想いと10年以上続けられてきた経緯について紹介していきます。
洗堰レトロカフェは、2009年から佐々木さんと近隣の大学生ボランティアスタッフによって運営されてきました。佐々木さんは滋賀県立大大学院から九州工業大学に進み、河川の景観工学を学ばれ、その経緯から長らく琵琶湖周辺をフィールドに様々な取組みに従事されてきました。現在は、琵琶湖でのサイクリングに関する事業などを行われています。
洗堰との出会いは、ちょうど建造100周年を記念して開かれた洗堰の保存や利活用を考えるワークショップ(2006年)でした。当時、九州工業大学の大学院生だった佐々木さんはワークショップ後のイベントが単発で終わってしまった後も、この洗堰の歴史的価値に魅力を感じ、何かアクションを起こしたいと考えていました。
「河川レンジャー」というきっかけ
ちょうどその時、淀川水系河川整備計画によって設置された「河川レンジャー」(注1)の試行に従事するために滋賀に戻られました。2年間の業務を終えた頃、やはりこの洗堰を利活用して何かやりたいという思いは消えていませんでした。
注1)「河川レンジャー」:琵琶湖河川レンジャーは、琵琶湖やその周辺で、住民のみなさんが河川に関心を持てるような取組みをしたり、みなさんの河川へのニーズを収集するなど、住民と住民、住民と行政の連携・協働のコーディネーター(つなぎ役)として活動する。(参照: http://www.water-station.jp/ranger/)
カフェオーナーの佐々木さんと学生スタッフ(Photo by 洗堰レトロカフェスタッフ)単に洗堰についての歴史ガイドをやるよりも、訪れる人たちに「思い出」を残してもらえるような空間体験を提供したいと考え、「カフェ」という形を装い、地域の人びとに立ち寄ってもらおうと目論みました。
普段は入れない洗堰の上部を月に1度だけ開放し、パラソルやテーブルで設えた素敵な空間で無料(カンパ制)のドリンクを提供しています。周囲には山々の稜線がくっきりと見え、雄大に流れる瀬田川上で心地よい風に吹かれながらのソトカフェは普段の生活では体験できない貴重な空間となっています。
思い出づくりがつなぐ歴史的価値
洗堰の活用において佐々木さんが最も大切にしているのは、思い出づくりだと言います。
『こうした歴史的な空間価値のある場所が「死ぬ」のは、誰にも思い出されなくなった時。堰としての役目を持っていた時の思い出を持つ高齢の方々がだんだんと減ってきている中、思い出の形は違っても次の世代の人たちの間でお茶を飲んだり、デートをしたり、といった新しい思い出が残っていけば良いと思う。』
10年間活動し続ける中で、洗堰の設計者、工事関係者の子孫の方やかつて堰から川に飛び込んで遊んでいたおじいさんが訪ねてきたり、そうした昔の思い出をまさに今の世代の人びとに引き継ぐための重要な空間体験を毎月1度のカフェ開催によって提供していると言えるでしょう。
佐々木さんはこのように続けます。
地域の様々な年齢の方々に愛される空間になっている。(Photo by DAICHI MATSUMOTO)『もしいずれ堰を壊してしまおうという話が出た時に、地域の人びとの中でこの空間はみんなの思い出が詰まった大切な空間だからしっかり残して、活用していこうという雰囲気になるのではないだろうか。』
一度訪れた人々が何度も訪れてくれるような「愛される」雰囲気を10年間という長い時間をかけて醸成してこられたのだなと感じました。
それはひとえに佐々木さんご自身がこの洗堰を愛していることが訪れた人びとにしっかりと伝わっているからではないでしょうか。
レトロカフェのステッカーがプリントされたこだわりのオリジナルカー。デザインを依頼した方も現地に足を運んでくれたという。(Photo by DAICHI MATSUMOTO)土木遺産活用のハードルはどのように乗り越えられたか
そもそもどのようにして土木遺産という公共物(所有・管理は国交省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所、以下琵琶湖河川事務所)を活用したカフェ開催が可能になったのでしょうか。活用におけるハードルとそれをどのようにクリアしていったのかを探ってみました。
河川レンジャーとして活動開始
佐々木さんはまず2006-2007年の2年間河川レンジャーの試行に携わり、その後自身も河川レンジャーの一員となって、その枠組みの中で洗堰の活用を開始しました。
河川レンジャーは洗堰を所有・管理する琵琶湖河川事務所が管轄する仕組みであり、その枠組みがあったからこそ、公共物である洗堰の活用に踏み切ることが出来たのです。
河川レンジャーの限界と河川協力団体制度の活用
一方、河川レンジャーは個人が指名される仕組みであり、佐々木さんがその指名から外れてしまうと持続的な活動が難しいという一面がありました。さらに河川レンジャーの取組みでは、集めた情報を吸いあげて河川事務所の取り組みと繋ぐ必要がありますが、その点にも難しさを感じていたといいます。
しかし、河川レンジャーとしてカフェを運営する中で、訪れた人から次のような声がたくさん聞こえてきたそうです。
『空気が良くて、とても気持ちが良い。』
『堰の上に座って初めて、自分の地域にこんなに素敵な場所があることに気づきました。』
『これほどゆっくり風景を見たのは久しぶりです。』
こうした声はパブリックスペースとしての価値を示す評価そのものであると感じた佐々木さんはレトロカフェの活動をより持続的に行える道を探りました。
そこで、ちょうど2013年に河川法が一部改正されて実現した河川協力団体制度の活用にトライしたそうです。
それまで河川レンジャーとして学生たちと共に5年間、任意団体として取り組み続けたからこそ、河川協力団体にスムーズに移行できたのです。
河川に関する情報を発信・収集するという役割を担うことで、河川協力団体として認められており、そうした活動も積極的に行っています。
さらに、河川協力団体に指定されたこともあり、今では河川事務所の閉庁日にも洗堰上の使用ができるようになり、看板の設置も実現しました。
数年前までは職員が登庁日に開閉しなければならないので、平日にカフェを開催していましたが、今では土曜日開催が可能になり、より柔軟で持続的な活用を行えるようになりました。
このように活動が段階的に柔軟性を持って展開してきたのは、佐々木さんが琵琶湖河川事務所の職員と良好な関係性を築こうと常に意識されていたからだと思います。
佐々木さんご自身もその関係性についてこのように振り返ります。
『河川事務所の中には活動の理解者もおり、関係者に恵まれてここまで活動を続けられてきたと思います。』
一方で、常時開放するということは今後も難しいようです。月に1度、特別に現れるパブリックスペースとしてその魅力を高めていって欲しいと思います。
洗堰の管理用扉に設置された看板と河川占用同意標識(Photo by DAICHI MATSUMOTO)「自発的な楽しさ」を尊重して人を巻き込む
洗堰レトロカフェは、佐々木さんに加えて、近隣の立命館大学や龍谷大学などのボランティアスタッフを常時募集しながら運営しています。
10年の間に多くの学生スタッフが入れ替わりながら運営に関わっており、大学を卒業したあとも、スタッフとして関わり続けている方もいらっしゃるそうです。月に1度のカフェ開催日のサポートだけでなく、日頃からLINEグループなどを用いて、カフェをより居心地のよい、質の高い空間にするためのアイデアを学生が自発的に提案できる環境づくりを行っています。
これまでも学生のアイデアによって、洗堰レトロカフェの空間の質をアップデートするグッズがたくさん生み出されたと言います。来訪者から名乗り出たり、学生スタッフのつながりからこのパブリックスペースを舞台に大道芸や楽器の演奏会、お菓子作りなど様々な人びとの表現の場として活用されてきました。
学生スタッフのアイデアで実現したテーブルクロス(Photo by 洗堰レトロカフェスタッフ)佐々木さんが学生スタッフと協働する際に意識していることが、パブリックスペース活用を行う組織にとって非常に重要な視点を含んでいると感じました。
『伝統だからやる、こういう決まりだからやるというのは避けるようにしている。関わってくれる人たち自身がやりたい、楽しいと思うことを存分に提案してもらえるようにすることが持続性を持たせると思います。』
取材当日は、学生ボランティアスタッフを募集するコーディネーターをしている立命館大学のサービスラーニングセンターで活動する2名の学生が参加しており、彼らはレトロカフェの魅力についてこう語りました。
お手伝いにきた立命館大学サービスラーニングセンターの学生さん(Photo by DAICHI MATSUMOTO)『佐々木さんご自身が楽しそうにオリジナリティやこだわりを持ってやってらっしゃる姿がとても魅力的で、この場にゆるく集まる色々な方が交流し合う光景、新しい人に出会える機会が素敵だなと思う。』
卒業された学生スタッフたちが、今後のレトロカフェの活動を紹介する際に使って欲しいということでお手製のレトロカフェアルバムを作ってくださったそうです。
サポートする学生スタッフたちも楽しく活動に参加し、運営する側の彼らにも洗堰での思い出が育まれていたことがよく分かります。
卒業する学生スタッフたちが作成した洗堰レトロカフェの魅力を伝えるアルバム(Photo by 洗堰レトロカフェスタッフ)「常連さん」と「ご新規さん」の両者を惹きつける魅力
洗堰レトロカフェの一日(13時-17時)を見ていて最も印象深かったのは、オーナーである佐々木さんが初めて訪れる方々に対して、一組ずつ丁寧に旧瀬田川洗堰の特徴や魅力について語りかけていた光景です。しっかりと場所の魅力を伝えたいという佐々木さんの愛を感じることができました。
一方で、毎月決まって訪れる「常連さん」の存在も大きいと佐々木さんはいいます。
『いつも来てくださる常連さんのお顔はすぐに分かります。ヨットが趣味の常連さんは天気を読むのが得意で、当日の空を見て天気を予想してくれます。ソトのカフェなので、天気を読むのはとても重要です。他にも、私に代わってお客さんの対応や準備・片付けなど色々とお手伝いをしてくれる常連さんもいます。』
常連という存在は、コミュニティの醸成に非常によく機能するものだと実感できました。取材当日も、最後の片付けを近所に住む常連の方が手伝われていました。佐々木さんや学生スタッフに加えて常連さんも場所づくりの一端を担っているのです。
佐々木さんや学生スタッフは、こうした常連さんやご新規さんが分け隔てなく交流してもらえるように相席を促したり、積極的に訪れた人とコミュニケーションを取るなど「場のオーナー」としても意識的に行動されていると言います。
訪れていた方にも少しお話を伺ってみました。
『レトロカフェに来ると、押しつけがましい感じが一切せず、なんとなく居心地よく過ごせる居場所をつくってくださっている。』
洗堰という歴史的に価値のある地域ストックに魅力を感じた佐々木さんが、訪れる人たちに無理強いすることなくその空間の魅力をカフェという誰もが馴染みやすい形態を纏わせることによって伝えることができているのだと推測できます。
こうした環境が一度訪れた人びとに来月も訪れてみたいと思わせる居心地の良いコミュニティを創り出しているのでしょう。
歴史的価値のある地域ストックを活かしたパブリックスペース
洗堰レトロカフェのように歴史的に価値のある土木遺産を活かしたパブリックスペースが街の中に出現することの意味とは何でしょうか。
新設し得ない河川上の特別な空間価値
一つは、その空間的な価値だと考えられます。明治時代に建設された堤の一部が残存したことによって、現行の河川法や河川管理施設等構造令では新設し得ないような河川にせり出した、通過交通のない人のための空間が維持され、ここでしか体験し得ない豊かな価値を持っています。
「井戸端会議」のようなコミュニケーションの場
もう一つは、レトロカフェという空間が地域の人びとに与える交流の機会です。常連さん、ふらっと散歩やサイクリングの途中に立ち寄った人びと、運営に関わる学生など様々な人たちが無意識のうちにその歴史的な空間における体験価値を共有しながら、何気ないまるで「井戸端会議」のようなやりとりをしているところが非常に魅力的に感じられました。
もっとも、10年間地道にこの活動を続けられてきたことが一番の価値であり、その結果、現代人には少し不足していると思える「井戸端会議」的な交流が行えるコミュニティをゼロから生み出した洗堰レトロカフェの活動はとても有意義なものです。
これからもより多くの人びとが洗堰レトロカフェに訪れ、それぞれの思い出を紡ぎ、後世へとその思い出と空間の価値を繋いでいけるのではないかとその可能性に惚れ惚れとしてしまいました。
是非一度、洗堰レトロカフェに足を運んでみてはいかがでしょうか。
洗堰レトロカフェ
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