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50年続く歩行者空間整備のビジョン!?横浜市の都市デザイン「緑の軸線構想」の実地検証

最近、全国各地で社会実験が盛んに行われ、ソトを人のための居場所にしていこうという取り組みがいくつも見られます。これらの取り組みは、素早く誰にでも分かりやすく、ソトを改善できるという画期的なものだと思います。

しかし、長い目で見てその場所をまちの財産にすること、また、まち全体での公共空間のあり方といった戦略的・長期的な視点へとつなげることが難しいようにも感じます。

そこで、本記事では、長期的な視点へとつなげる参考事例として、50年以上歩行者のための空間を考えて取り組み続けてきた、横浜市の都市デザインの1つである「緑の軸線構想」を実際の空間と合わせて紹介します。また、横浜の大学院生である筆者が、「都市デザイン」を知りたい方たちと共に学んでいく形での紹介になります。

これからのまちにどのような公共空間があるとよいかのヒントや議論を生み出すキッカケになればと思います。

(ソトノバ・スタジオ|ソトノバ・ライタークラスの卒業課題記事です。)


横浜の都市デザイン「緑の軸線構想」について -1970年代から人中心の居場所を考え続ける-

横浜市の都市デザインの取り組みとして、都心臨海部(関内・関外地区)における「緑の軸線構想」とそれを構成する各公共空間をご紹介していきます。

下図は横浜市HPにあがっている最新のものになります。

sato_sotonoba1横浜都心部の都市デザイン(横浜市都市整備局(2012)『横浜の都市デザイン パンフレット』より)

浜の「都市デザイン」とは

横浜市では、1970年代から日本の自治体の中で初めて「都市デザイン」という手法を使って、人間中心の空間を行政主体で創ってきました。

「都市デザイン」とは一体何でしょうか?

明確な定義はない概念ですが、横浜市の考えを整理すると以下のようになります。

ソトの場所の多くは公共空間なので、主に自治体がつくっていくものです。しかし、それをまとまりをもった風景でありながらも、画一的でない多様な個性ある場としてつくっていくには、目的の異なる主体(環境創造局公園緑地部・港湾局みなと賑わい振興部・道路局計画調整部・民地所有者など)を上手く調整・誘導しながらトータルな視点でつくる必要があります。

そこで、まち全体の良さと場所単体の良さの両方をより良い状態にしていくことを目的として、まち全体のルールをつくったり、空間をつくる主体の協調を促し、時には実際に一部の空間をつくって、個性豊かな人中心のまちの再生を誘導する。こういった手法が横浜市の「都市デザイン」であるといえます。

横浜市は、1971年、行政内部に都市デザイン室(旧:企画調整局 都市デザイングループ)という専門機関を設置し、各部局の調整を実現しながら人間性を重視した場づくりしました。これがとても先駆的だったのです。

その後、時代の要請を受けて横浜市の都市デザインは変化していきますが、初期では土地利用の規制誘導などの都市計画とも相互に連携しながら総合的なまちづくりがされていました。

そんな中で、都心部では、飛鳥田市長(任期:1963~1978)が掲げていた6大事業の一つ、「都心部強化事業」というプロジェクトを進めることで、人間中心の都市空間を創造しようとしていました。この骨格になるビジョンが「緑の軸線構想」です。

緑の軸線構想」の変遷

では、「緑の軸線構想」の出どころとその発展を探っていきながら、どんな考えでまちがつくられてきたのかを見ていきましょう。

なんと、「緑の軸線構想」が最初にでてくるのは、1966年の報告書なのです。(株)環境開発センターという、今でいう都市計画コンサルタント事務所のような民間の企業が作成したものでした。

最初はどうやら、単に「軸線計画図」という名前だったようです。この段階では、

『都心を一つのまとまりある構成にするために、都市の景観軸線を設定し、主要機能をもたしめる。』

と書かれていて、まちの骨格となる景観をつくるべきだという意識が強いです。

よく見ると、軸内にある建物や公園の緑が他と比べて詳細に描かれています。これらを拠点として、そのソトの場の良さをつなげていくんだという思いが感じ取れます。

sato_sotonoba2最初の計画図((株)環境開発センター(1966)『横浜市都心部再開発基本構想報告書』より)

この4年後に、大通り公園という緑の軸線の重要な一部になる空間の実現が決まり、具体的にどうしていくかを決める報告書が出ます。

ここでは、『市民がつくる憩いの空間があるべき』『緑のネットワークをつくる』といった文言がでてきて、具体的に人のための場所をつくっていくというはじまりが見られます。

sato_sotonoba32度目の計画図( (株)環境開発センター(1970)『横浜市大通り公園及び周辺地区開発構想報告書』より)

これらのビジョンが実行力のある法定計画としてきちんと位置づけられるのは、2010年中心市街地活性化基本計画になります。現在の「緑の軸線構想」は3分割され、「大通り公園軸」「開港シンボル軸」「港町結節点」となり、現計画に位置づけられています。

sato_sotonoba4現在の計画図(横浜市都市整備局(2010)『関内・関外地区活性化基本方針図』より)

々に追加のプロジェクトも実現!? —部分と全体の再考で街を改善

そんな「緑の軸線構想」ですが、初出時の計画には書かれていない空間が徐々に実現されていきます!

くすのき広場(1971)・開港広場(1981)・関内駅南口モール(1985)・象の鼻パーク(2009)です。

初期段階では、地図におおざっぱな線を引いて考えていましたが、歩行者が軸を認識して海(山下公園)に向かって歩いて行けるように、次々とプロジェクトの形になり実現していきます。

長期的な視点を持って大きなスケールで計画しつつも、限定はしない。具体的に実現できるスケールのプロジェクトを行い、また全体の目的を再考して、再び小さなスケールで実践するというやり方には学ぶべき点が多そうです。

sato_sotonoba5軸線上の各公共空間と整備年代。赤字が「緑の軸線構想」の初出時には記載がない場所。(『大通り公園周辺のまちづくり』(1970)より筆者加筆)

歩行者にとって、ソトをつなげるように… —「緑の軸線構想」の各ソト空間

それでは、実現されていった各々の空間を、海に向かって歩いてくように、歩行者の視点から見ていきましょう!

【関外エリア】

①蒔田公園

関外というエリアの端っこにある都市公園です。子供の遊具等が備わっている一般的な公園ですが、大通り公園からはとても離れてしまっています。実際に歩いてみると、ここから海に向かって歩いていくというのは、少々無理がありそうです…

sato_sotonoba6遊具があり、広場では多くの子供が遊んでいる。

②大通り公園

「緑の軸線構想」の骨格をつくる、1.2kmある細長ーい道路のような公園です。実は、高速道路の地下化を何とか成功させたドラマがあります。

南側から「緑の広場」「水の広場」「石の広場」というテーマで、多様な場づくりがされています。横浜橋商店街と交差する場所に、座りながら将棋が毎日行われている不思議な場所もあります。

実際に歩いていると、幅員が40mほどで、人のたまりと自転車の通行が共存するヒューマンスケールになっているのが印象的でした。

高幅員の道路によって関内エリアとつながりが切れていますが、公園を延長した先には次のくすのき広場があります。

sato_sotonoba7石の広場の様子。ヒューマンスケールな歩行者軸を都心に生んでいる。

【関内エリア】

③港町くすのき広場(2019.06.28

この場所は、行政(都市デザイン室)の人たちが自ら設計した歩行者専用の道路です。ここが、「緑の軸線構想」で最初に実現した空間です。

隣の旧市庁舎の柱のスパンにあわせて歩道の舗装をつくりこんだり、多様なベンチがあったりなど、歩行者に対する配慮が行き届いています。後程紹介しますが、今は工事中で新しく生まれ変わる予定です。

sato_sotonoba9舗装と市庁舎の一体感。リズムよくベンチが配置され、多様な人を受け入れている。

④関内駅南口モール

もともとタクシー乗り場だった場所を歩行者専用道路に変えた通りです。駅舎のレンガ色の舗装が、くすのき広場と同じで一体感を演出しています。駅から降りてすぐに、車の通らない道が続いているので、歩行者にとって優しい街になっていると感じます。

sato_sotonoba10歩行者専用の道路が駅から出る人を迎え入れる。

⑤横浜公園・スタジアム

くすのき広場からは連続していなくて、関内駅南口モールから横浜スタジアムが見えるといった感じなので、ここは歩行者にとっては軸として認識しづらくなっていますね…

2020年に整備された横浜スタジアムのデッキ空間から階段を伝って、日本大通りにつながっていて歩行者の回遊を促しています。

花壇はちょうど座れる高さで緩やかなカーブを描いています。見知らぬ人とも適度に距離を取りながら空間を共有して座ることができる居場所ができています。

sato_sotonoba11ちょうど座れる高さの花壇。子供たちが遊ぶ横で、会社員のランチタイム。

⑥日本大通り

2002年の再整備により、植栽の防護柵でもありベンチにもなるストリートファニチャーが設置されたり、サインなどを整理して海へ視線が抜けるようになりました。銀杏並木が海に向かって整列している景観はとても美しいです。天気の良い日のオープンカフェ(3か所)は、とても気持ちのいい歩行者の居場所をつくっています。

sato_sotonoba12平常時オープンカフェ(THE BAYS前)の様子。広い歩道が公園のような道をつくっている。

⑦象の鼻パーク

2009年に竣工した港湾緑地です。この場所ができた事によって、横浜公園-日本大通り-象の鼻パークという歩行者のための連続した空間が実現しています。

海に向かってゆったりと座れる小松石のベンチでいろんなひとがくつろいでいます。平日のお昼時はオフィスワーカーのランチでよく利用されてます。

海側も「ウォーターフロント軸」として歩行者のための連続した空間として整備しされているのですが、象の鼻パークはその軸と「緑の軸線」の交点になっている場所です。

sato_sotonoba14海に向かって並ぶ小松石のベンチ。緩やかに人が集まってくる。

⑧開港広場 ⑨横浜港大さん橋

開港広場は、目の前の交差点・大さん橋付近の通りと一緒に整備された広場公園です。日本大通り・象の鼻パークと山下公園を繋ごうとしたようです。ぐにゃりと曲がった交差点に吸い込まれるかのような、少し変わった形をしています。噴水を見ながら、木陰のベンチで涼んでいる人もチラホラいます。

sato_sotonoba15噴水を中心とした憩いの空間。

⑩山下公園

緑の軸線構想のゴールに到着です!1929年に造成された横浜を代表する都市公園になります。

ずらーっと海に向かって並ぶベンチと園路が、にぎやかでいてくつろげる居場所をつくっています。芝生にもいろんな姿勢で寝転ぶ人や遊びまわる子供たちがいて、自由にくつろいでいる様子が見れます。日常的な人の居場所をつくっているという目で見ると、色々参考になる場所です。

sato_sotonoba16海に向かってズラリと並ぶベンチと芝生が、人の居場所になっている。

の軸線構想は今…? —今後実施予定の再整備へ

実現した空間を1つずつ見ていきましたが、まだこの構想が完成しているわけではありません。今現在どのようなプロジェクトが進行中なのか?ここでは、2つのプロジェクトから「緑の軸線構想」の今を見ていきます。

⑪みなぶん(みなと大通り及び文化体育館周辺道路)

「緑の軸線構想」をみると関内と関外の間に高速道路が走っているので、どうしてもそこで歩行者軸線としては切れてしまいます…

そこで、軸を補強するように、軸の間を通る道歩行者のための空間として再整備する予定です。その前段階の社会実験が2020年の11月に1か月間行われました。車道を減らして滞留できる場所(デッキ)を7か所設置して、歩行者の居場所をつくり、交通量調査をして豊かな空間になるための工夫を考えています。

果たして、「緑の軸線」上の他の公共空間と連携して海と駅、まちをつなぐみちになるのか?今からとてもワクワクしますネ!

sato_sotonoba19夜のデッキ(パークレット)の様子。子供の遊び場にも!カップルの居場所にも!

⑫旧市庁舎街区活用事業(くすのきモール

2025年に開業予定の開発予定地です。『関内駅周辺地区エリアデザインコンセプトブック(プラン)』というまちづくりの方針をつくることで、民間の開発を誘導しています。

民間の活力をつかったソトの場所が、今まで切れていた横浜公園と大通り公園をつなぐことはできるのか?50年以上続く悲願の「緑の軸線構想」達成なるか??今後も注目していきたいところです!

sato_sotonoba20「2025年 くすのきモールの想定パース」photo by 横浜市

まち全体での公共空間への戦略的・長期的な視点

いかがだったでしょうか?

まずは、50年間にわたって歩行者のための空間づくりを続けていることに驚きます!

さらに、歩行者が連続して歩いて行けるソトの場所をつなげていくという緑の軸線は、まだ未完成で進行中です。歩行者のためのまちづくりは容易ではないことが分かります。

横浜市のように、歩行者のための空間を繋いでいくために、きちんと個々の場所ごとにあった場づくりをすると、公園のような道・道のような公園といった異なる機能が混ざりあった人の居場所が生まれて、自然とアクティビティも豊かになるのでは…?

改めて、まちを楽しく練り歩くような、ワクワクする体験を促していくためには、短期的な実験にとどまらずに、時間をかけてまちの財産をつくるような長期的な視点が必要になってくると感じます…

みなさんも実際に歩いてみて、50年かけてつくられているヒューマンスケールな緑の軸線を味わってみてはいかがでしょうか?

sato_sotonoba21photo by Google earth(edited)

Unless otherwise noted, photo by Eita SATO


参考資料

  • 前田英寿ら(2018)『アーバンデザイン講座』
  • (株)環境開発センター(1966)『横浜市都心部再開発基本構想報告書』
  • (株)環境開発センター(1970)『横浜市大通公園及び周辺地区開発構想報告書』
  • 横浜市都市整備局(2012)『URBAN DESIGN YOKOHAMAパンフレット』
  • 横浜市政局:調査季報183号(2019)『特集/よこはまの緑の取組~「ガーデンシティ横浜」の推進に向けて《11》まちづくりにおける緑 ③都市デザインの視点における都市の緑化/ガーデンシティ横浜』
  • 鈴木伸治(2018)「横浜市における都市デザインの前史ー飛鳥田市政の誕生から六大事業発表後までー」横浜市立大学論叢人文科学系列vol.70No.2・3
  • 田村明・横浜市企画調整室・SD編集部『SD別冊No.11 横浜=都市計画の実践的手法:その都市づくりのあゆみ』
  • SD編集部『SD別冊No.22 都市デザイン|横浜:その発想と展開』
  • 田村明(1983)『都市ヨコハマをつくる』中央公論社
  • 岩崎駿介(1980)『個性ある都市 横浜の都市デザイン』

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