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ソトノバ・ラジオ#14 | 平賀達也さん|ランドスケープ ・プラス

ソトノバ・ラジオ#14を紹介します。

ソトノバ・ラジオ#14のゲストは、株式会社ランドスケープ・プラス 代表取締役、ランドスケープアーキテクト連盟副会長の平賀達也 さん。南池袋公園で日本造園学会賞、としまエコミューゼタウンで日本都市計画学会賞を受賞。東京を拠点に、都市の中で自然とのつながりを感じられる空間づくりや仕組みづくりを実践されています。

パーソナリティは、 オンデザインの西田司 さん 。

ラジオの様子は、YouTubeの「ソトノバ・チャンネル」でもご覧になれます。この記事では書き起こしをお届けします。


YouTube:「ソトノバ・チャンネル」

以下は、書き起こしです。当日の様子をお伝えします。

西田:
はい、始まりましたソトノバラジオです。本日はランドスケープデザイナーの平賀達也さんお呼びしてソトノバラジオお送りします。平賀さんよろしくお願いします。

平賀:
よろしくお願いします。

西田:
ソトノバラジオは今気になる方をお呼びして都市や都市のパブリックスペース、平賀さんの場合はパブリックスペースだけじゃなくてオープンスペースも含めて、これまで手掛けられていて、平賀さんがどんなことに興味を持ってるのかなっていうことをお聞きするラジオになってます。
30分の中で平賀さんが最近考えてることをいろいろお聞きしていきたいなと思っているんですけど、まずこのコロナがあって皆さんがステイホームになったりとか、どうしても感染の拡大を防ぐために Social Distancingみたいなことがあったりしていて、都市の外部空間とか屋外空間の使われ方や感じ方が変わってきてると思うんですけど。
まず最初、最近平賀さんが感じてるその辺りの変化、もしよかったらお聞かせ願ってもいいですか。

平賀:
私は神田川沿いに住んでるんですけど、近くには公園があったり目白台の崖線が残ってるんですね。で、けっこう親子連れとかご夫婦でお年寄りの方とかが歩いてる数が一気に増えたんですよ。川沿いってすごく新鮮な空気が流れるし、ちょうど新緑の季節だったので、なんか動物が巣から出てくるような、ちょっと人間の本能的なものがこういう危機に面して蘇ってきてるような、そういう感じは受けてますね。

西田:
今までは目的に向かって歩くとか、振る舞いがもうちょっと機械的と言うか動物的ではなかったと言うことですかね。

平賀:
そうですね、触覚というか五感というかですね。よく一般的に言われる今人間って視覚の情報が圧倒的に多くて、視覚に頼りすぎてるって言うに言われるんですけど、何か自分の感覚のスイッチが違うところに入ったような感じはしますよね。街がすごく静かになったりですね。
聴覚とかあるいはその味覚と嗅覚がなくなるみたいな話ってあったじゃないですか、コロナで。ああいうことって自分の普段使ってない感覚みたいなものに向き合わざるを得ない状況っていうのが、野生で生きてた頃の人間みたいな、そういった物を呼び起こしてる感じが少ししてますけどね。

西田:
そういう感覚って元々平賀さんはランドスケープデザイナーだから余計意識的だったとこですか。

平賀:
自分のことはよくわからないんですけど、客観的にあまり見ないもんなんで。よく「お前エロい」とか言われるんですけど、他の職業の人に比べてそういったものに対してはかなり敏感なのかもしれないですね。

西田:
普段平賀さんが扱っている植生とか土地とかは尺が長かったり。人間と違う時間が動いたりするじゃないですか。そういうことに平賀さんは興味を持ったというか、ランドスケープを始めるきっかけみたいなのってどんなところがありますか?

平賀:
よく言う原風景って言うんでしょうかね。私が生まれ育った徳島県阿南市ってところは川の下流域で、川と海がすごく近いんですよね。四国ってけっこう海に近くて。毎年実家には帰ってるんですけど、必ず行く場所があるんですよ、好きで。港の灯台のある場所なんですけど。変わってないですね、全く。僕が小さい頃から。友達と釣りに行ったり、中学校になって彼女できて彼女とデート行ったり、友達に大事な話がある時にそこ行ったりとか、高校の時に。そこ行くと自分が変わってない部分が変わってることが分かったりするんですよ。変わらない風景の中に身を置くと。自分が多感な時にそういう環境下に身を置いてたっていうのは、何かしらの影響は受けてると思いますね。

西田:
今の「変わらない風景に身を置くと、自分が変わったことに気づく」っていうようなキーワードがあったんですけど、それってもしかしたら今のコロナならの時期とかも、風景は変わってないけど人の動きが変わったみたいな話じゃないですか。今神田川の話と似てるなと思って聞いてたんですけど。風景は変わらないけど人の動きは変わることによって、初めて自分が変わったことに気づくとか都市が変わったことに気づくっていう話と繋がってて面白いなと思いました。

平賀:
何か答えた方がいいですか。

西田:
そういうのを今いろんな人が感じてるんじゃないかなと思っていて。平賀さんから見て、平賀さんが感じてる事と外の人が感じてる事の違いとかってありますかね。

平賀:
私は、けっこう忙しかったんですけど、コロナ禍の期間でいろいろ立ち止まって考える時間があったので、さっきの変わる変わらないってことに関しては、また戻っちゃうと思うんですよね、都市生活者は特に。それはなぜなら、変わらない風景の尺が非常に短いからだと思うんですよ。私がやっぱり興味があるのは鎮守の森のような、目白台の崖線の緑とか海とかですね。長い間地域の人達を大事に守り繋いできた、それも100年とか数100年、もしかした1000年もいけるかもしれないんですけど、そういうものが持っている価値みたいなものが、見直されることになるんじゃないかなと思いますけどね。

西田:
コロナ関係なく平賀さんは今の鎮守の森的な、東京にもともとある緑とか地形とかに対して意識的だと思うんですけど。そういう尺が長いって表現した、そういうものがある魅力っていうのはどういうとこですか?

平賀:
文化とか政治とかそういうのをずっと長い時間で見ていくと、当然誰がその時代、支配してるかとか、政治的経済的な側面があるんですけど。地誌学っていう言葉があって、地面の地に、誌は言偏に志すですね、そういう言葉があるんですけど、地形が地域の文化を創るっていうことなんですね。
僕らよく社会基盤とか社会資本っていう言葉を使うんですけど、ランドスケープって社会基盤にならないと駄目だと思っていて。それはその土地にある環境ですよね。環境は何がつくるかって言うと、その地形だったり地勢だったりするんですけど。そういう物に向き合っていかないとランドスケープって解けないんですよ、解けないっていうのは誰もが納得してくれないっていうか。

平賀:
普段の設計の活動の中で、そういったものと向き合ってることはすごく大きいと思います。ぶれることはないんですよね、だから。短期的に何かが起きても見てる尺が長いので。

西田:
それは日々の自分の設計活動の何かを決めたりする時に大きな影響を及ぼすんですか?

平賀:
特に公共空間扱う場合はそこで住んでる人たちに対して、なぜそこにアクションを起こすかっていうことを説明する責任がありますよね。その時に歴史的な背景を探っていくと、地形構造、要は昔ここに川が流れてましたよねみたいな話から始めるとけっこう皆さん共感してくださるんですよ。
それは今の時代背景も大きくあってですね。戦前の…例えば東京で言えば、東京の原風景知ってる方ってもうほぼ絶滅しつつあるんですね。私がちょうどランドスケープやり始めて、今ままでっていうのは、そういったことを親身に聞いてくださる、その記憶がまだお持ちだった人がいらっしゃって。そういうことが私のランドスケープを考える上で原動力になっているというか地誌学的なアプローチをちゃんと理解してくれる人がいるっていうことは大きかったと思いますね。

西田:
この今の感覚を普段設計する時に使っているって言うと、実際使う人達は現代の人じゃないですか、なんかそこの接触がすごい面白いですよね。使ってる人は地誌学的な感覚はないんだけど、平賀さん設計したとこにはそれが乗っかっていて、それとこれの重なりあいが生まれるみたいな。

平賀:
よく言われるんですけど、できてみて「あぁ、平賀さんが言ってたことわかった」って言われることが多いというか、ほとんどそうなんですよね。その場所にある場の力を顕在化するってのが我々の役割だと思うんですけど、CG とかVRみたいな物には絶対に表現できないんですよ。だいぶテクノロジーも解像度が上がってきて、要はさっき言った視覚ですよね、視覚的な部分ではある程度魅せられるようになって来つつあるんですけど。それ以外の感覚って言うのを体感してみてもらって初めて伝わるっていうところはありますよね。それは面白さでもあるんですけど。

 

radio14-2「MUNI KYOTO」の庭園

西田:
場の力って呼んでいるものが体感にしかなかなか伝わっていかないってことですか。

平賀:
それが先程言った戦前の記憶として、足の裏とか匂いとかそういうので覚えてらっしゃる人がいるから、そういうのって得てして企業のトップだったり自治体の長だったりするんですよ、今ちょうど。そういう人がいてくれるって言うのがすぐありがたいなと思うんですよね。怖いのは、自然の怖さも含めてですけどね、快適さとかそういうものを知らない世代が決定権者になってきた時に、何が起こるのかっていうのが非常に不安ではありますよね。

西田:
今のこの状況が身体化されてる人たちがむしろ次の時代をつくっていくってことですよね。

平賀:
そういう風になっていくといいなと思いますけどね。

西田:
そういう人たちがまさに今コロナが起きたことによって、少し都市内の自然環境とか、もっというと自分の家の周りを歩いてみた時に気付いたお花とか、ちょっとした植物とか、雰囲気とか、今まで昼間外で歩いてなかった人たちがステイホームで歩くことで、かえって気付かされた部分けっこうあるんじゃないかなと思うんですけど。そういうことに対する期待値とか、今のこの状況から教育と言うか環境から影響を受けた人たちが次の世代をつくる期待値みたいなのありますか。

平賀:
そうねぇ…笑 でもそもそもランドスケープというか、緑を都市の中につくってきたっていうのは、衛生公衆衛生の観点から公園っていうような概念って生まれてきたんですよね。個々人がそういうことをどこまで理解しているかってのもあるんだけれども、今我々は民主主義の、経済資本主義の中で生きてるので、今その共有財としてそういうものをつくっていこうっていう判断が出来る政治家がいるかとか、日本のこれからどうしていくかっていうことに対してどういう判断していくかっていう事の方が大事な気がしますね。

西田:
言ったらSDGs的な話も含めて、頭ではサステイナビリティを理解してるじゃないですか。今の平賀さんの話って記憶とか場の力とか、理解の範疇と言うよりは身体的な感覚をちょっと得たんですけど。そういうことを今の都市の中で逆に気付いていったり、今は政治家って言いましたけど、決定していく人たちがそういうことに対してもっと意識的になっていくにはどうしたらいいですか。

平賀:
言葉の力は大事だと思っていて。例えば僕らよく歴史を参照するんですけど、日本が世界に対して開いたのってほんの100年ぐらい前なんですよね、明治に入って鎖国を解いて、近代国家目指していくんですけど。最近では僕が所属している団体で国際会議をやらないといけないということで海外の方と話をしたりする時に、日本人って世界っていう言葉と地球っていう言葉をイコールだと思ってますよね。思ってる節があると思うんですよ。例えば世界って自分の中にあったり外にあったり、出し入れできるんですよ、日本人って。ただ地球ってものに対してのリテラシーとか、地球っていうものに対しての熟度っていうのかな、がまだ足りてないような気がするんですよ。
その一方で、最近養老孟司さんの本読んで面白いなと思ったのは、日本に縁側って空間があるじゃないですか。内と外を繋ぐ場所ですよね。京大の西田さんって哲学者様がおっしゃってるんですけど、「と」って言う言葉がありますね日本語で。例えば「西田さんと私」みたいな。英語の場合ってA&Bで、AはA でBはBなんですよ。でも日本の場合の「と」っていうのは客体と主体が入り混じってるんですよね。要は「君と私」って言った時にそこには同じ地平に立っている者同士がいるってニュアンスを含んでるんですよ。
そういう日本人ならではの文化、それはさっきの地誌学と絡むんですけどね、そういった言葉の細やかなニュアンスっていうものを都市空間にまで落とし込めてないと思うんです。まだ全く。なので、サステイナビリティなんて言葉は使わない方が僕いいんじゃないかなと思ってて。それをちゃんと僕らの体感に落とし込まないといけないんですよ、サステイナビリティって何かっていう。

平賀:
でも大事なんですよ。その目新しさみたいなものは大事なんだけど、日本人として生きてきたマジョリティーがって事なんですかね。外国の方も色んな方もいらっしゃるんだけど、投票で決めていく国家制度なので、その1人1人のリテラシーとか合意形成を図って行く上での空間と言葉の緊密さみたいなものには、もうちょっと神経質になった方がいいんじゃないかなと思ってますけどね。

西田:
その話すごい面白いですね。確かにパブリックスペースしかりサステイナビリティしかり、どちらもカタカナで。外から入ってきた言葉をどう自分達の言葉として使うかっていう話なんですけど。日本の言葉には日本人の体感が宿るっていう、その感じと今の話を繋げていくって、問いとして面白いですね。

平賀:
やっぱり年を取ってる人ってすごいなと思うんですよ、僕は。言葉の深みがあるというか。特に現場とかやってて職人さんと話してて面白いのはそこなんですよね。世界の中心分かってるっていうか、世界を理解してるんですよ、地球って言えばいいのかな?そこがすごく今軽くなってる気がしますね。

西田:
その重い軽いっていうのは、話してると気が付くってことなんですか?

平賀:
気が付かないから怖いんだと思うんですよ。僕globalってすごく良い言葉を発見したなと思って、西洋は。earthでもなくworldでもないっていうか、みんな一緒だぜって。さっき言った「と」的な感じですよね、みんな同じ指標に立ってるよねっていう。僕らもglobal、globeっていう言葉をどれぐらい身体的に理解できてるかってことなんですよね。

西田:
世界をworldじゃなくてglobeでどうみれるのかっていうことですよね。

平賀:
それは多分成功してるんですよ。英語圏の人たちはglobeっていう言葉を発見することで SDGs的な世界観みたいなものが語れるんだけど、日本人どうなのっていう。そこはやっぱり我々が身体的にちゃんと落とし込めてない気がしますよね、まだまだ。

西田:
本当はですね、今日は平賀さんから、これからの都市とかパブリックスペース、オープンスペースを考えるための写真を持ってきてもらってるんですけど、写真で紹介する時間のないまま20分まで来てて。でもこの話めっちゃ面白いなと思って。

平賀:
僕もこれについては色々西田さんと話したいんですよね。すごく大事な事で。

西田:
globe的って今言っていただいた地球的な感覚って、都市の自然を見る時に花が愛でるだとか、そこに至福があるなとかそういうことを感じると思うんですよ。それをglobeだと感じるってなかなか難しくて。

平賀:
日本の場合はglobeで感じる必要がないと思ってるんですよ、島国だから。

西田:
先程日本の言葉にちゃんと落とす必要あるって言ってましたね。

平賀:
昔の人は宇宙ってそれを言ってたんだけど、そういう世界観があったと思いますよね1人1人。それはある種、宗教的な話にいっちゃうんですけれども、死生観がちゃんとあったって言った方がいいかもしれない。

西田:
確かに今おっしゃられた宇宙って呼んでる言葉って、どっちかって言うと良い意味で輪廻とかまさに死生観とか宗教観とかそういうことと繋がってるじゃないですか。その先に自然崇拝的な、八百万的なことまで連続していって。今日ランドスケープの文脈で平賀さんに語って頂いたんで理解しましたけど、普段意識することほぼないですよ、都市空間。

平賀:
でも僕らの生活の中にはそういう視点はいっぱいあって。例えば日本庭園っていうのはsequentialなんですよね。絵巻物と言うか、日本独自の色んなシーンがあってそれぞれでその場所の主人公になれるっていうか、さっき言った客体と主体が一体になってるっていうか。西洋の一点透視法っていうのは、ちょうどあれが流行りだしたのってデカルトが「我思う、ゆえに我あり」みたいなそういう世界観なんですよね。西洋の庭園ってものすごく perspectiveで。どっちが良い悪いじゃないんですよ。そこにある文化とか歴史感とかそれも地政学的に読み解けるんですけど、そのあたりも。日本は先進国なんで非常に地形が豊かっていうか、きめ細かいんですよね、海岸線、河川の数含めて。日本人だからこそ今の格差の問題とか人がいがみ合ったり、今アメリカは大変なことになってますけど、何かそういうことに対して新しい手段を与えるようなことはできると思うんですよね。

西田:
世界の概念をこっちに持ってくるだけじゃなくて、日本の元々あるものをちゃんと顕在化させて、それをむしろ世界に届けていくっていうことができるんじゃないか、なみたいな。

平賀:
ものを多面的に見るっていうね。建築にしてもランドスケープにしてもやるべき事っていっぱいあると思うんですよね。僕は西田さんにすごく興味があるのは、言葉をすごい大事にされて設計やられてるので、そういうところはまた機会があったら話してみたいなあと思います。

西田:
さっき客体と主体の話あったじゃないですか。頭にも出てきて日本庭園の時も出てきたんですけど。平賀さんの感じる「と」を、ランドスケープなり建築なり、もしくは都市空間に応用していくとすると、どういう学びがそこにあると思いますか。

平賀:
地続きであるっていうか、自分がそこで生きているっていうことが感じられて初めて「と」的なものが共有できると思うんですよね。なので、さっき写真に見せた京都の案件なんかは、これ向こうに見えてる山が嵐山なんですよ。嵐山ってもう数百万年前、海に堆積した化石が隆起してできてるんですけど。チャートって呼ばれる、こういった積層が5センチピッチぐらいで固まって露出してるのが見えたりするんですよね。これはチャートそのものではないんだけれども、チャート的な世界観で庭をつくることで、ここにお泊まりになってる方々が嵐山と地続きであるっていうことを体感してもらえるようにつくってるんですよ。ここが「と」の部分ですよね、テラスとその庭の部分が。

 

radio14-1嵐山と地続きであることを体感させる「MUNI KYOTO」の庭園

平賀:
ここで出している水ってのはですね、ホテルの前に堰があるんですけど、堰の音と呼応してるんですよ。さっき言った聴覚の部分ですよね。夜になると真っ暗になるので。そういう周辺のおおらかな地形とか自然とどうリンクさせるかっていうことをやると、窓を開くんですよね、繋がりたいから。最近良く繋がるとか繋がりって言葉を安易に使いがちなんですけども、何と繋がるのかっていうことはちゃんと科学的に伝える必要がありますよね。そういう意味で地誌学的なアプローチがすごく説得しやすいんですよ。

radio14-3「MUNI KYOTO」前を流れる桂川に設けられた葛野大堰

西田:
めっちゃ面白いっすね。繋がるっていう行為に対しても、客体と主体、言ったら風景と自分というものも連続感があるから、そこを開けるのが窓だっていう。窓の意味というか機能、役割をもっと科学的にも実感できるといいですよね。

平賀:
そこに快適性のようなものを感じるからでしょうね。

西田:
このコロナで外の空間に対する意識が増えていると、繋がる対象が今までインテリアとか機能だけだったものが、どんどん連続していって。その連続している延長が風景であり、今言っていただいた周辺の地誌学的なものに繋がってゆくのかなっていうのはすごい思いました。

西田:
あっという間に今30分経とうとしてるんですけども、質問が1個来ているのでちょっとご紹介すると。Social Distancing、まあ言ったらDistanceですよね、その部分はこれから公園とかパブリックスペースでも意識されるんじゃないかなと言った時に、ランドスケープデザインとして、例えば南池袋公園、平賀さんやられていますけど、あそこは元々けっこう集まりやすい、公園の中にも人の居場所があるような場所だと思うんですけど、コロナ前とコロナ後でSocial Distancingみたいなことで公園の利用の仕方とか設計の仕方がどう変化すると思いますか。

平賀:
一気に変わらないとは思うんですけど、圧倒的に都市って対面積あたりの人の数が多いので、最終的に自然との相対だと思うんですよね。そういう方向に行くんじゃないかなと思うし、そう行って欲しいなと思いますね。都市の中にどう空地を見出して自然を埋め込んでいくのか、その起点になるのがさっき申し上げた昔から残っている鎮守の森だったり。東京って人がつくり出した森、鎮守の森っていっぱいあるんですよね。そういう場所が起点になってくる気がしますけどね。

平賀:
南池の周りだってあの雑司が谷霊園があったり、雑司が谷の古いお寺がいっぱいあったりするんですよ。実はそれって小川が流れていて、小川で繋がってたりするんですね。僕の夢は、豊島区さんにも地域の人には言ってるんですけど、「小川を再生しましょう」で。今ロンドンもパリもニューヨークも自転車道を一気につくり始めたんですよね。何ですぐにできるかって言うとマスタープランがあるからなんですよ。

西田:
元々やるつもりだったっていうところがあるってことですよね。

平賀:
それには財政の問題があるので、年度ごとに財政の区切りをつくって中長期的な視点でやってたんだけど、さっき冒頭に言ったように政治家が今ここに金かけろ、っていうようなこと判断すれば出来ちゃうんですよね。緑地になるのか、人間がサードプレイスとして気持ちよく使える場所を、どうしていくかっていうことは、風の流れとか元々あった地歴ですよね、緑が育ちやすいとか。歴史的な視点で絵を描かないといけないと思いますね、僕らが。そういうところがちゃんとできてなかった、設計に携わっている我々自身がやらないといけないことたくさんあるなと思いますけどね。

西田:
今の話聞いてると、例えば南池袋公園に人が集まってたら、集まってる人どうするとかって話だけじゃなくて、周辺環境さえももっと開いていって、開いていったことによって都市に人口当たりの密度を分散できるような場所がもっと増えていく必要がある、もっというとポテンシャルがあるんじゃないかっていう話ですよね。

平賀:
そうですね、あのこれはちょっとあの言っときたいんですけど、Park-PFIっていう都市公園法の改正ができたのって、南池袋公園ができた後なんですね。僕らがあそこでやりたかったのは民間の資金を取り込むとか行政が手離れの公園管理をやるって言うことではなくて、地域の人たちが自分ごととして公園運営に関わることで持続可能な共通資産を維持していく仕組みをつくったっていうことなんですよ。それをするために色々苦肉の策を考えて地元のレストランオーナーさんに入ってもらって売り上げの何パーセントかを「良くする会」って言われている組織に出してもらってる。

西田:
平賀さんがランドスケープデザイナーなのに「よくする会」を一緒にやってるってやつですよね。笑

平賀:
まあそれはいいんですけど。笑

平賀:
社会を変革させていくためには、法律を変えうるだけのアクションを起こさないといけないんだけれども、それが判例になっちゃいけないんですよね。地域の人達が自分ごとになるっていうことが大事で、そっちが目的なんですよ。民営化、民の力を入れるのは手段でしかなくて、そこをちょっと履き違えてる感じがするんですよね、行政含めて。それは非常に危機的な状況ですよ。
さっきの一番最初の西田さんの質問に答えるとすると、南池袋で完結しちゃいけないんですよね。あそこで体感した心地よさとか地域の人たちが自分たちでできるんだっていう感覚をどう広げて行くかっていうことが豊島区がやるべきことだし、次のプロセスが大事だっていう事ですよね、次の成功例をつくって行かなくてはいけない。

西田:
南池袋公園がどうなるかって話じゃなくて豊島区全体が、もっというと、そのエリアに住んでる人達自身の力も含めてどうやって変わっていけるのかっていうところ。

平賀:
豊島区がって話をしましたが、それを受けて豊島区さん今いろんな公園使って街を繋げようとしてるし、そういう意味ではすごく楽しみですけどね。豊島区がやってるような事をコロナ禍、withコロナの状況においてどういう風にこう…あそこって日本で1番人口密度が高いんですよ、あの行政区って。そういうのもちゃんと追い続けていきたいですけどね。

西田:
この話はどんどん続きたいんですけど、あの時間になってしまったので、平賀さんほんとありがとうございます。平賀さんのお話を僕がまとめたというか書き留めただけなんですけど、today’s perspective〜これからの都市とパブリックを探る視点〜を紹介したいと思います。

西田:
・変わらない風景を見ると自分が変わることに気づく
これはご自身のお話とセットだったんですけど、これは非常にコロナのことを言っているなと僕は思っていて、都市の風景自体は変わってないはずなのに、自分自身が出る場所とか動く場所が変わると、やっぱり社会が変わっているもしくは今のこの雰囲気、空気が変わっていると気付けるんだと。
 

・長い時間で、地誌学的に見ると共感がある
平賀さんは地誌学的に見ることによって、理解してくれる人たちにちゃんと届くって言われたんですけど、尺が長いっていうことが重要で、ブレないことを共有することによって初めて目指すべき方向とか大事にすることが見えるんじゃないかと。
 

・場の力を顕在化するのがランドスケープ
目に見えないものも含めてるので、場の力がなんなのかっていうのはもっと掘り下げていきたいんですけど、非常に今日の印象的な言葉でした。
 

・地球というものに対する熟度を上げる
globeの話ですね。globalっていう言葉があるように日本でも地球に対する軸がある。
 

・日本の言葉(自分の体感)を都市空間に落とし込む
・日本の庭は「と」的に客体と主体が一体になっている
日本の言葉〜と繋がっていると思うんですけど、「と」的に考えていくこととか、日本の言葉、もしくはそこで生まれてきている歴史的振る舞い、客体と主体が一体になっている、関係性のflatnessとかそういうことを日本の庭の話だけじゃなくて自分の日常とか、都市の空間にどう落とし込めるかを考えていけるといいなと言うのが、今日の平賀さんのお話からのtoday’s perspectiveでした。

radio14-4Today’s perspective 「これからの都市とパブリックを探る視点」

西田:
今日は本当に平賀さんありがとうございました。引き続きの議論がたくさんあると思うので、またぜひ色々お話させていただければと思います。

平賀:
はい。楽しみにしてます。

Photos by 平賀達也
テキスト:秋元友里

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