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ソトノバ・ラジオ#11 | 武田重昭さん|大阪府立大学

ソトノバ・ラジオ#11を紹介します。

ソトノバ・ラジオ#11のゲストは、 大阪府立大学の武田先生です。最近武田先生は「大きな時間の中で考える都市の未来」という論考を出し、アフターコロナの都市の個性やパブリックについて論じられています。そんな武田先生と深掘りするアフターコロナの都市とパブリックスペース、必聴です!

パーソナリティは、 オンデザインの西田司さん 。

ラジオの様子は、YouTubeの「ソトノバ・チャンネル」でもご覧になれます。この記事では書き起こしをお届けします。


YouTube:「ソトノバ・チャンネル」

以下は、書き起こしです。当日の様子をお伝えします。

西田:
始まりました。ソトノバラジオです。本日は大阪府立大学武田先生にいらしていただきました。武田先生よろしくお願いします 。

武田:
よろしくお願いします。

西田:
ソトノバラジオは今気になる人に、特にパブリックスペースについて根掘り葉掘り聞こうという番組です。最近武田先生は寄稿で非常にコロナに対して素晴らしいテキストを書いていて、それを読んで「あ、これはちょっと武田先生にいろいろ今日は聞いてみよう」というところがベースであります。武田先生はこのコロナの時期はどんな感じで過ごしてましたか?

武田:
そうですね、今おっしゃって頂いた学芸出版のウェブサイトに寄稿をさせていただいたのですが、お話もらうまでは鬱々として過ごしたんですけれど、そのお話もらったのはきっかけとして良かったです。それで自分の思っている事などを整理できたというのは、すごくいいタイミングですね。

西田:
こちらですね(ウェブサイト)

武田:
はい、ありがとうございます。学芸出版の岩切さんという編集者の方から、前の本もご一緒させて頂いたのですが、お話もらって。

西田:
かなり長文というか、書きながら武田先生の頭の中を整理していくみたいな、そういう感じにすごく感じられて…具体的には後ほどまた。今日は画像を持ってきてくれてるので聞いていくのですが、武田先生はこの今の時期は少しずつコロナが逆に回復していっている中で、これを書きながらご自身の中で整理できたこととか、今感じられてる事とかってありますか?

武田:
今のこれがうまく整理できているかというと、あまりできていないような気もするのですが、色々思うことをまず書き出してみれたっていうのはすごく経験として良くて、そうは言ってもその時だけ思ってることってほとんど書いてなくって、それまでに思ってたことが今このコロナの状況でワーッと出てきたりとか。そういうのを一回整理してみようというチャンスを貰えたのはすごく良かったですね。
書いている時がピークというか…コロナに対して一番自分で深く向き合えたのは書いている時で、書き終わってしまうとなんだか脱力感があって。しかも今なんとなく日常に引き戻されている感じがあるじゃないですか。なんか旅行の帰りでもうすぐ日本に、家に着いちゃうみたいな。 そんな感じにはちょっとなっていて、次の目標を見つけないとなって思ってるところです。

西田:
今日は3枚画像を持って来て頂いているので、その画像をちょっと最初にご紹介してその中からまた話を展開できればと思います。

radio11-1a大阪 中之島公園

武田:
西田さんから画像3枚って言われたんで何を出せばいいかなと思ったのですが、せっかくこうやってしゃべれるから、僕もなんだかよくわからないけど気になるなと思っていることを出して、西田さんと一緒にお話しできたらなと思って。なのでそれが何かって言われるとあんまり説明できないんですけど、(画像1枚目)いきなりこう非常に不思議なというか興味深いものなんですけど、これは左上がコロナ前の大阪中之島公園の写真ですね。
中之島公園は2009年にリニューアルされて綺麗になったことに合わせて、水都大阪フェスというソフトのプログラムも始まって、水都大阪再生のシンボル的な空間なんですね。改修当時はなかなか日本人というか、大阪人も使い方がそんなに上手くないっていうか…綺麗な芝生広場になったけど果たして僕はここに入っていいのだろうか?みたいな恐る恐る感があったのですが、そのままプログラムとかイベントとか繰り返していくうちに、こうやって使ったらいいんだって示してくれたのを市民の方々もすごく感度よく受け取って、今ではこうやってすごく魅力的に使いこなしている様子があります。
右下の写真はスーラという画家の「グランド・ジャット島の日曜日の午後」 という絵なんですけど、19世紀中頃のパリ郊外の水辺なんですけれども、大阪もパリに追いついたなみたいな(笑)。そんな印象で見てたのがbeforeコロナの時の風景ですね。

西田:
美しい風景ですが、この写真から感じる武田先生のこういうところがいいなみたいに感じる所ってどういうところですか?

武田:
普通に見ると、この写真は僕もレクチャーとかも学生とかに見せたりするのは、こうやって都市の賑わい、人がいる風景というのを見るということが、都市のそのものが持っている本質的な魅力なんだ、みたいに説明することが一般的なんですけども。今日西田さんと喋ると思うと、もうちょっと奥深い都市の魅力みたいなものがつスーラの絵にはあって。
これは槇文彦先生の本にも全く同じ写真が出てくるんですけれども、槇先生の解釈だとスーラの都市の賑わいの人達って、実は誰も目を合わせることなくそれぞれがそれぞれの時間を淡々と過ごしてるみたいな、ある種都市の賑わいの群衆の中にある個みたいな、孤独そのものを内包した賑わいみたいな、そういう魅力として語られている文章が多くて。
だからそのレベルに本当に大阪の水辺は達しているのかどうかという風な目で見ると、実は表面的な本当にワイワイ楽しい賑わいの風景なのかもしれなくて。そういう意味では都市の賑わいでどうあるべきかとか、都市の本質的な魅力ってどうあるべきかって色々考えさせられる絵だなと思うし、その絵を通じて大阪で考えることもあるなと思いながら考えてたという感じです。

西田:
Beforeコロナの時から武田先生はただ賑わうだけじゃない、一人が一人でもいられるみたいなことですよね。その感じは、やっぱり賑わいって結構ある種としては大事なものだとして語られたので、かつ今の時点といえばソーシャルディスタンシングの話もあるから、賑わいはすぐには取り戻せないという話なのですが、むしろその一人で入れる価値みたいなのにこの時からちょっと興味を持ったのですね。

武田:
そうですね、どちらかというと賑わい作る方が簡単で、一人で快適に過ごす公共空間の方が難しいと思ってたんですよね。
だから都市の公共空間が目指す目標像として、賑わいっていうのはトップでも全然なんでもなくて、割と底辺な方の第一ステップぐらいの達成すべき目標で、本当にその先には一人でもどうやって豊かに暮らすことができるか、過ごすことができるかみたいな、そういう空間を持てるかどうかこそが都市の核と言うか、より根源的な本質的な魅力の部分じゃないかなっていうのはすごい思っています。

西田:
そういうのを武田先生が感じ始めたり考えたりしているのは何故なんですか?武田先生が一人が好きだからとか、そういう感じでしょうか…?

武田:
それもあるかも。なんというかあんまりイベント会場いっても、これ職業柄もあるかもしれないけど、イベント会場に行ってイベントを楽しんでるようでありながら、端から楽しんでいる人たちの写真を撮っているみたいな。そういう楽しみ方もあるじゃないですか。都市の群衆を見ることそのものがやっぱり都市空間の魅力だみたいな、なんかそういうのもあると元々思っていて、でもその魅力ってほとんどのスポットでは共有できなくて。
みんながみんなイベント参加してワイワイ楽しいんだけど、参加している人たちの姿を見ても楽しいし、むしろ後は供給側、こういうイベントや出来事を起こす側に回るっていうことは、より都市を堪能しているというか活かしてるというか、そういう過ごし方が都市生活の中にあるんじゃないかっていうのは、なんとなく思ってましたね。

西田:
それってイベントってどうしても始まりがあって終わりがあるじゃないですか。でも都市空間の中で群集が戯れている姿を見るのがイベントと同じように楽しいってなれば、それは終わりがずっとないわけじゃないですか。
だからそれってすごいサスティナブルだなとか、今みたいにソーシャルディスタンシングだとか言われても別に距離取れても自分自身が一人でいられるので、すごく普遍的にできることで、今聞いてていいなと思いました。

武田:
それはひょっとすると伊藤香織さんとか太田浩史さんとかがやっているピクニッククラブというのを、昔誘っていただいて何度か一緒にピクニックさせてもらった時の感覚とかっていうのがあったりして。だからやっぱり三々五々集まってきて、自由に持ち寄りで自分の好きなものを持って行って、その場にいるときは時間、場所を共有して楽しくしゃべって、帰るときは誰もそれを引き止めずに自由に帰っていけるみたいな。
あの感覚はなんというか、都市的だなぁと思いながら感覚を体験させてもらったのもあって。そういうイベントってなると、本当にピクニック型というよりキャンプ型で「はい事前の準備して、この時間までにこれやって、次にこれやって、はい終わりました、皆さんよかったですね、はい解散」みたいな。
努力を積み重ねるキャンプ型じゃないピクニック型みたいな、ああいうのが都市の気楽な楽しみ方だし、むしろその方が作り出すのが難しい、魅力的な楽しみ方かな、みたいなのは思いましたね。

西田:
そういうものを楽しむ資質っていうんですかね。自分の中での性格というか、どうやって養われるんですかね。
例えば、武田先生は見てても人だけじゃなくて木々の樹種を見て、この木はこの時期だからこうかなとか、後は歩いていたり佇んでる人を見ながら、今日のこのシートはこんな感じで敷いてるからこういう気分なのかなとか、その解像度っていうんですかね、見る時の…そういうのってどうしたら上げられるのかなと思って。

武田:
僕自身そんなに解像度高いかどうかは分からないのですが、でもランドスケープっていう学問体系自体がそういう特徴を持っているというか、いろんなもののつながりを一つの風景の中に見出すみたいな、人と自然の関係で成り立つのが風景だし、そこにいろんなネットワークとかコミュニケーションとかが介在していて一つの生態系が成り立って風景ができている、みたいなことを考えていくと何でも興味出てくるんですよね。
建物一つだけで景観って出来ているわけじゃないっていうか、それの一番対極にあるのが人そのものが風景だって思えてくる瞬間って、都市の中でたくさんあって。
同じ場面を見てても、人がいるのといないのとでは全然感じるものが違うし、そこで人々がどういう風に振舞っているかこそが都市の風景の魅力だなぁと思うところはあるので、そういう意味では、学生の時から教えてもらったランドスケープっていうものの見方とか考え方みたいなのがすごく役立ってるというか、体に染み込んでいるっていうか…そうなのかもしれないなと西田さんに言われてみて思いました。

西田:
ランドスケープって聞くとどうしてもペーブメント(舗装)どうするかとか、植栽どうするかっていう話に聞こえてますけど、実際はそこの人々の振る舞いとか、そこで作られた風景だとかをどうやって作るのかっていう話だということですよね。

武田:
もちろんいろんな考え方もあるので、生態系を保全していくこともランドスケープの重要な価値だから、人なんかいない方がランドスケープの価値が高まるという考え方も、もちろんあると思いますけれども、特に僕はやっぱり都市が好きだし、その中でもやっぱり人がいる風景が好きなんだろうと思います。

西田:
そう考えると、その生態系の中に人間も居ると言うか、やっぱりその生態系のエコロジーの捉え方が、最近すごいよりその同じサイクルの中に人間を取り込んでいくみたいになっていってるじゃないですか。ああいうのもやっぱ、話を今の武田先生の話と一緒に聞いていると、人の動きとか木の動きとか見るのが、例えば武田先生には全部一緒に見えて、本当は地球の上で生活していると空が一緒に見えることが実は楽しいみたいな。 

武田:
そうですよね。それをフラットに見えれば見えるほど、やっぱり楽しみが増すような気がしますよね。

西田:
この1枚の写真からすごい深いですね。
続いて2枚目の写真に行きます。これは何の話なのか全く読めないスライドなんですけれども…?

Takeda2左:ゴミが散乱する公園/右:富山グランドプラザ

武田:
2枚目は両方ともbeforeコロナの写真ですね。3枚目だけがafterコロナ の写真なんですけれども…
これは今の賑わいの話とほとんど近いんですけれど、右側は富山のグランドプラザです。平日の昼下がりなんですけれど、手前にサラリーマン風の人がいて、向こうで談笑をする女性たちがいるみたいな、木漏れ日の下でベンチに座って…なんかこの風景が、すごく富山にとってグランドプラザができたことは、すごい都市の魅力を上げたなっていうのを実感する一枚で。
もちろん富山のグランドプラザもたくさんプログラムやって、イベントもされているんですけれども、その風景ももちろん魅力的な子供たちがいろんな演奏をしていたりだとか、ワインパーティーやって出たりとかっていうのももちろん魅力的なんですけれども、この普段の日常使いを市民の方々が生活の一部としてできているということは、すごく市民にとってのグランドプラザが欠かせない存在になっているんだろうなって思える1枚で、都市の魅力を象徴しているんじゃないかなと。

西田:
対比的に扱っている左は…?

武田:
左はちょっと何公園とは言えませんけど…(笑)向こうに見えているのがクリスタルタワーっていう建物なんですけれども、公園の中にもコンビニがあってたくさんの観光客が来て、公園のいかに活性化して経済的に賑わいを創出するかっていう大成功事例だと呼ばれてる公園なんですよね。
でもそこにいる人たちはもちろん近隣の居住者はほとんどいないですし、何だったら日本人もほとんどいなくって、外国から来た人達ばかりで。その人たちがどんどんどんどんゴミを捨てて行って、ゴミ箱が収まりきらなくなってこんなことになっているっていうのが、本当に公園が目指す賑わいの姿なのかっていう…そういう気がして。
同じ公共空間だし、同じように行政が力を入れて成功だとされている事例なんですけど、すごく対比的に思えるなと思って並べてた感じです。

西田:
それはやっぱり日常性とかに対して興味を抱くということですか?

武田:
そうですね。だからさっきの話とも一緒かもしれないですけれども、一時期だけピークを迎えるような場所があるよりかは、やっぱりこう毎日の生活の中で馴染んで使って、そこがかけがえのない場所になって。もしくは、いっときだけピークがあって盛り上がるというよりかは、徐々に徐々に本当に変わってるかどうかも分からないけど、なんとなくちょっとずつだけ良くなっていくみたいな、そんな盛り上がり方、そんな良くなり方の方が、やっぱり都市にとっては良い影響を与えるんじゃないかなって、そんな気がしてます。

西田:
この場合の都市にとっての良い影響っていうのは、人がたくさん来るって言う話じゃないですよね。

武田:
そうでしょうね。もちろん人口が増えることは都市にとって良いのかもしれないけど、そういうことではなくて、仏生山の岡さんに教えてもらった話なんですけど、急激に盛り上がった町は必ず盛り下がるとおっしゃっていて、だから急激に盛り上げるようなことをしませんと。
ちょっとずつベクトルを上向きに上げていくことの方が、最終的には良いまちになるんじゃないかっていう風におっしゃって、仏生山のまちぐるみ旅館っていう風に、街を旅館に見立てるような取り組みをされているのがすごく好感を持てて、それはあの街の規模だからできるということもあるけど、でもどの街でもやっぱり普遍的にそこに住んでいる人々がいいって思えるような、そういう日々が積み重ねていかないと街が良くなることってないなというふうに思っているので、がっと一時だけ人が増えても50年100年の長い時間の中で、街にとって本当にそれがどういう影響なのかということを考えないと、なかなか良い都市って言えないのではないかなという風に思いますけどね。

西田:
この話はまだちょっと深掘りしたくなっちゃったんですけど、3枚目に行きましょう。

radio11-3b大阪 靭公園

武田:
3枚目は写真の方はですね…これはafterコロナというかwithコロナというのかわかんないんですけど、このコロナ期の大阪の靭公園という公園です。よく見ていただくとたくさん人々がいるんですけど、やっぱりみんなで集まって集団で交流する活気みたいな、当たり前かもしれないですけどもちろんなくて、それぞれの家族だったり個人だったりがそれぞれ公園を満喫しているみたいな、そういう写真です。
それに対して左上は、マネっていう画家の「バルコニー」という絵画ですね。これは発表された時に批判を浴びた絵で、誰も目線合わずに物理的にも何にも交流していないし、それぞれの3人の関係性も全くよくわからないと、それぞれ別の方向を向いている個みたいなバルコニーという場所に閉じ込めて、この三人は何が表しているんだみたいな大批判を受けた絵なんですけど。これも後に評価がだいぶ変わって、都市生活の中でそれぞれの人が抱えている孤独みたいなものをなんとなく町に向かって解放させようとするように、3人のなんとなく同じ場所にいるという共有感みたいな、そういうのがよく表現されているいい絵じゃないかみたいに後になって変わった絵なんですけど、このコロナ禍の人々の過ごし方っていうのは何となく重なるなーと思って2枚合わせてみました。

西田:
孤独っていうものの解釈というか、捉え方が武田先生の中で結構ポジティブですよね。

武田:
そう言われるとそうかもしれませんね。

西田:
その理由ちょっと深掘りしたい気がします。

武田:
本当に孤独だったらすごい嫌だと思うんですよ。でもやっぱり安心感とか社会に対する期待とかがある孤独ですよね、多分…バルコニーに少なくとも3人いるし、バルコニーという場所は確保されているし、眺める対象としての都市もあるわけですよね。本当に牢屋に閉じ込められてとかだったらちょっと嫌だけど、そうじゃなくて一人でいられるっていうのは実はめちゃくちゃ贅沢なんじゃないかっていう、そんな気がしますね。

西田:
でもそれは一人でいるって、今回このリモートとかコロナ期の働き方とか暮らしの中で感じたことが多いと思うんですよ。だからこそ、武田先生が最初に紹介いただいたような寄稿の文章が書けるのかなって言うのもその話だと思うのですけど、そういう時間ってあんまり普段持ってないじゃないですか。そのポジティブな一人でいる、もしくは今すごく素敵な言い方だなと思った「期待がある中での孤独」。
でもなんかそういうのってコロナってもちろん悪い、いろんな悲惨な状況も生まれているので良くないと捉えている部分多いと思うんですけど、孤独がプラスに感じられるってのは話としてピンと来ました。

武田:
このコロナ禍で得られたポジティブなひとつの都市にいる態度なのかもしれないですよね。
逆にそのことを前向きに考えてみようと思うと、可能性はいっぱいあって。こんなに安全で安心で、みんなと共感が持てて、みんなで頑張ろうと思いながら、でも孤独で一人で黙々と自分自身を見つめ合う時間を設けるみたいなのは、実はこれほど豊かなことはないかもしれないですね。

西田:
特にこの持って来て頂いている公園の写真とかってちょうどいい距離感で、孤独だけど協働してるというか、その安心感はありますよね。

武田:
そうですね。誰も取り残されてる感じは全然なくて、本当だったらもうちょっと会話したりとか、交流したりしたいっていう欲望が満たされていない感じはあるけど、でもそのことは自分たちはもう知っているし、わかった上で今は孤独なんだって、そっちを楽しむみたいなそういう割り切りというのかポジティブな感覚はこの時も感じましたよね。

西田:
ちょっと最後に質問が来てるのでご紹介させていただくと、ソーシャルディスタンシングってやっぱある距離を取るって意味じゃないですか。距離を取ろうと思うと例えば狭い場所とかってどう扱うのかっていうのと、もう一つは都市開発とかみたいなものをやっていくとどんどんオープンスペースが巨大になって、ベクトルとしてはまちの中のオープンスペースが公共空間が大きさとしては大きくなっていってるような感覚があって、それがまたソーシャルディスタンシングを助長するんじゃないかって。それを武田先生はどう捉えていますか。 

武田:
それは両方あるといいなと思ってる感じですね。公共空間が増えること自体は、僕はそれがチャンスなのであれば増やせばいいような気はします。
特に論考とかでも書いたんですけど、リザーブ用地的に使い方を決めなくても将来のために今は空地としてパブリックスペースとして使うみたいな、そういう使い方でも海外では普通にドイツがシンガポールとかやってますけど、日本はなかなかそういう風に使えないのでそういう風に空地を確保していくことは、ある種の土地利用として僕はすごくいいんじゃないかなと思っています。
でも一方で、ちょっと質問と違うかもしれないですけど、そういう茫漠とした空間だけだと取り付く島もないような、居心地がいい空間が増えないから、逆にちっちゃな自然みたいな、ちっちゃな空間みたいなものをいっぱい増やすっていうそっちも大事で、庭先にちょっとだけ緑があるとか、ベランダでもいいかもしれませんね。ベランダでちょっとプランターがあって、緑が置いてあるみたいなものがいかにも都市生活の中で安らぎの場所になるかっていうのを、今回すごく皆さん体験したと思うんですよね。
そういうちっちゃいマイクロのパブリックスペースと、広い広大な都市全域の土地利用的に考えるパブリックスペースみたいなものが両方併用できれば、人はそれぞれ生活の中でルールを使い分けることができると思うので、そんな両方がグッと進むんだったらランドスケープ的にはすごく嬉しいなって思うんですけどね。 

西田:
例えば狭い路地空間とかそういうとことかも、今の話だと小さい単位を自然で感じるとか人間の数を減らすとかそういうことで、もっと自分事化できるんじゃないかっていうことですよね。

武田:
そうですね、ソーシャルディスタンスの話はもちろん、今はこのタイミングにおいてはかなり重要視されていることだけど、どこかの段階ではやっぱり交流とか活気とかを取り戻さなきゃいけない瞬間というのももちろん来ると思うので、そういう時のためにもヒューマンスケールの空間をつぶしてしまうわけにはいかなくて、都市が脈々と培ってきた大切な空間だし、再開発の波でそういう路地が飲み込まれてしまって広いオープンスペースがあるからいいだろう、みたいな論調になるのはかなり危険だなということですね。

西田:
なるほどなるほど。最後にちょっと聞いてみたいと思ったのは、今日の話の中で比較的日常性とか孤独みたいな、なんかみんなで集まって楽しいみたいな話が無かったじゃないですか。ですが武田先生が言っていたように、やっぱりソーシャルディスタンスシングばっかり考えているとちょっと人との距離があって、人との距離を縮めることの喜びみたいなものがあるんじゃないかって言われていたのを聞いてから、そういうことに対する武田先生の都市空間への期待とかってありますか。

武田:
期待というか危機感が今ちょっとあって。だからそのソーシャルディスタンシングばっかり言われていることに対してはすごい危惧しますよね。最終的にはやっぱり都市の交流みたいなものをどう獲得して、回復していくかみたいなことは絶対考えないと。
公園に白い丸書いて皆が間隔を空けて座ってる写真は面白いと思うけど、あれが豊かなのかっていうと、全然そうは思えないですよね。あの写真とこの今のこの靭公園のこの写真で距離を取っているというのは、ちょっと全然意味が違うような気がするので、そこはやっぱ誰かに調整されることではなく、期待の中にある孤独っていうのはそういうものでは多分なくて、誰かに強要されるものではなくて、自分でそのことを選択しているっていう強い意志があって初めて成立する孤独の喜びだと思うので、それはやっぱり反対側で言うといつかはみんなと集まって交流できるって言う、そっち側がないと期待の側がなくなっちゃうと思うんですよね。
そこに向かわないような風潮になるんだったら、それはパブリックスペースの危機だなと思うので…そうか、あまり今日は孤独のこと言い過ぎたのはまずかったのかな(笑)

西田:
いやいやそんなことないですよ。今最後にお話聞いてすごい思ったのは、都市の交流の期待みたいな言い方があるじゃないですか、今日持って来て頂いた絵と写真とかってある種謎解きみたいな話だったんですけど、謎解きバージョンの交流の絵と写真で今度やってみてもらいたいなと思いました。

武田:
わかりました、ぜひまた機会があれば ご一緒させてください。

西田:
あっという間の30分間で楽しかったです。
すごい乱暴なんですけど、僕が武田先生の話を聞きながらまとめるっていうか今日のポイント整理みたいなのをちょっとだけやったんですけど…「Today’s perspective これからの都市とパブリックを探る視点」ということで。

Takeda4Today’s perspective これからの都市とパブリックを探る視点

西田:
もうこれは最初の一言に尽きるんじゃないかなと思うんですけど、今日の武田先生が都市の魅力を集まった人々を見ることっていうところからスタートしてて、軸足がすごくいいなと思いました。やっぱり人々がどう振る舞うかを考えるランドスケープの学びっていう、これは生態系的に植物を考えるだけでなく人のことも考えると。
急な盛り上がりを持たない街が長続きするっていう、これは岡さんの言葉だったと思うんですけど、これもすごくいいなと思って…示唆的でした。
そして、期待感ある中の孤独を解放させられる時間と空間。最後に、都市の交流の期待をどう回復していくか、ということでした。
ソトノバラジオ非常に30分では伝えきれないくらい面白い話が聞けるので、今日はちょっと武田先生の話をもっと聞きたいんですけどここで終わりになります、ありがとうございました。

Photos by 武田重昭
テキスト: 能浦美帆

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