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木密地帯が生んだイケ・サンパーク |3つの防災機能と変遷をたどる

東京都豊島区、池袋駅から東へ徒歩15分、サンシャインシティを超えた先に「IKE・SUNPARK(イケ・サンパーク)」の愛称で親しまれる防災公園があります。都会の喧騒を忘れられる広々とした空間です。2020年12月に全面オープンしたこの公園は、防災公園としての顔に加え、豊島区のウォーカブル事業の一端も担っています。

筆者自身は豊島区主催のまちあるきイベントを通じて、この公園の魅力を知り、以来たびたび足を運んでいます。この記事ではそうした利用者の目線で、イケ・サンパークが平常時にどのように使われ、緊急時にはどのような機能を発揮する想定なのか、そもそもなぜこの場所で防災公園が求められたのかに触れ、イケ・サンパークを取り巻く歴史や因果関係を追います。さらにイケ・サンパークの役割が1つの防災公園だけでないことを、ウォーカブル事業と共に紹介します。

ソトノバ・スタジオ|ソトノバ・ライタークラス2023の卒業課題記事です。)


イケ・サンパークってこんな場所

イケ・サンパーク(正式名「としまみどりの防災公園」)は、約100×170mの長方形の公園で、その8割ほどが芝生となっています。芝生の上で、あたりを見渡すと、広場の四方に低層住宅や大学校舎、マンションが立ち並んでいるのが目に入ります。

校舎やマンションのような高層建築物があると、閉塞感を感じるのではないかと思うかもしれませんが、むしろ適度な囲まれ感があり、安心感の方が大きいように感じられます。

特に大学校舎は低層部は窓ガラスが連続的に続くため、厚ぼったさがなく、高層部はセットバックしており、威圧感もありません。また、豊島区で最大面積である1.7haという公園自体の広さのため、とても気持ちのいい空間となっています。

2_0中央手前の建物が2023年秋に開校した東京国際大学池袋キャンパス。Photo by Masato SAEGUSA

改めて園内の様子を見渡すと、芝生の上でピクニックをする家族や、追いかけっこをする子供たち、のんびりとくつろぐ人など様々な過ごし方が見られます。

また園内にはカフェなどの飲食店もあるため、そこで買った食べ物や飲み物を手にしている人も多いです。イベントの実施も多く、防災イベントやコスプレイベント、ファーマーズマーケットなどが開かれています。

2_5広々と気持ちのいい公園の雰囲気。Photo by Masato SAEGUSA

コミュニティバスが園内を通るのも特徴の1つです。このバスは「IKEBUS(イケバス」と呼ばれ、池袋駅周辺の回遊性を高める役割を果たしています。

イケ・サンパークにおいては園内西側のいちょう並木の間を、警備員の誘導に従いながら低速で通行し、園内のバス停にまでやってきます。そしてお客さんを迎え入れた後、駅や区役所などへと向かっていきます。

3真っ赤でかわいい!イケバス。並木道を通りながら公園内のバス停へとやってくる。Photo by Masato SAEGUSA

3つの機能で、災害発生時の役割の変化に対応

さて、このように思い思いに楽しく過ごせそうなイケ・サンパークですが、その真の姿は3つの機能を有した防災公園なのです。

まず注目すべきは広大な芝生を活かした避難場所としての機能です。最大9000人の避難者を受け入れ、防火樹林によって火災から身を守ることができます。

2つ目はヘリポート機能で、公園の中央に離着陸できる設計となっています。道路が通行できない状況時に、物資や傷病者を搬送することを想定しています。

最後に、救援物資集積拠点としての機能も備えています。送られてきた物資をいったん公園に集め、その後に区内の学校や体育館などの各避難所に運べるようにしています。物資を搬入する際には、普段イケバスが通る並木道が搬入車両の通行ルートの1つになります。

この3つの機能は、災害発生時からの時間経過とともにその効果を発揮します。つまり、災害発生直後から半日の間は避難場所として使われ、半日から3日ほどで被災者や物資を運ぶためのヘリポート機能へと転じます。災害発生から3日から4ヶ月ほどの期間に入ってからは、救援物資集積拠点となり、以降は復旧に向けた資材などを搬入する場所となります。

このほか、井戸や貯水槽などの給水施設、ソーラー電源、かまどベンチや備蓄倉庫など15の防災施設も有し、日々災害に備えています。

木密地帯が生んだ「住民主体のまちづくり」

ところで、なぜイケ・サンパークは防災機能を持つ必要があったのでしょうか。現在のようになるまでには長い時間と深い経緯があります。

歴史を江戸時代にまで遡ると、この公園のある辺りは何もない場所でした。なぜなら池袋は、その地名が「水」に関係していることからも分かるように、川や湿地帯が多い場所だったからです。

そんな場所に川の水を利用した紙すき工業が発展したため職人らが住み始め、徐々に人が増えていきました。その後、中央区にあった石川島監獄が東池袋へと移り、1895年〜1935年まで巣鴨監獄が置かれました。

4 (2)巣鴨監獄とイケ・サンパークの位置関係(今昔マップ on the webを基に筆者作成)

防災公園がつくられる契機となったのは、もとを正せば戦後の闇市だったと見ることができます。東池袋一帯が戦火で焼失し、空地となった場所に青空市場ができました。

そして都心から近いことや、大塚といった元々発展していた地域からのアクセスのしやすさが転じて、道路などの整備が進まぬまま、東池袋地区にも木造アパートが乱立しました。

こうして生まれた住宅密集地帯の環境は、長らく改善されることがありませんでしたが、ようやく1983年になって変化の兆しが生まれます。事態を重く見た豊島区は、住民側への働きかけを行い、住民が自ら今後のまちの姿を考えること、そのステップとしてまちづくり協議会をつくることを提案しました。

そして住民にもまた、当時の密集地帯が災害時に安全なものではなく、加えて人々が気軽に集まれる場所もないことが課題だという意識があったそうです。そのため翌1984年に住民が自ら組織する「東池袋4丁目、5丁目地区まちづくり協議会」が結成されました。

活動内容として、住民同士の意見交換のほか、住民自身がまちを歩き、どこが危険なのかを調べ、地図もつくりました。このような取り組みも踏まえ、自分たちのまちにどんな機能が必要で、どんなまちにしたいのかをまとめあげ、1986年に「まちづくり提言書」が区長へ提出されました。その計画の柱の1つとして「公園・施設の計画」があり、現在のイケ・サンパークにつながる案について、住民と区の間で少しずつ協議されるようになりました。

また「公園・施設の計画」の一環として、まちづくり協議会や住民らは、小さいながらも、自分たちで防災機能と公共空間としての機能を持った空間をつくりました。その公園は辻広場と呼ばれ、1986年〜1990年代後半にかけてつくられました。建物の取り壊しが決まった土地(30〜60㎡)に、住民らも手を動かしながら防災倉庫や伝言板、古本を置ける本棚、机や椅子などを作りました。結果、木密地帯の中に防災能力を持ちながらも、休憩をしたり、子供が遊んだり、住民が集まれるような広場ができあがりました。

5辻広場の1つ。防火水槽や消火器、消火栓などがあることが分かる。Photo by Masato SAEGUSA

住民参加型のまちづくりは今でこそ珍しくありませんが、豊島区での取り組みが始まった1980年代にはまだ当たり前のことではありませんでした。協議会会長はこのような話を残しています。

まちづくりは本来行政の仕事で、なぜ協議会が計画を検討しなければならないのか(中略)議論も繰り返されました。しかし、考えてみれば、まちづくりの仕事を行政にまかせきりにするのではなく、自分たちのまちは自分たちの力でつくりあげていくことが本来であり、自分たちがどのように住むのかという目標をかかげて、その目標を実現するために、行政と手をたずさえていかなければならないのではないかとの考え方に立ち至りました

(「辻広場ができた! 東池袋まちづくり物語」より)。

こうした流れを背景として、イケ・サンパークをはじめとする東池袋4丁目、5丁目では住民自身が関わりながら、防災性を高めていきました。

動き出したイケ・サンパーク造成

そして実際にイケ・サンパークをつくる動きが活発になったのは2013年前後のことです。1939年からこの地にあった造幣局東京支局がさいたま市に移転することが決まり、大規模な土地利用転換が図られることになったためです。

6造幣局とイケ・サンパークの位置関係。(今昔マップ on the webを基に筆者作成)

そこで「造幣局南地区まちづくり懇談会」という新たなまちづくり協議会を立ち上げるなどしながら、住民参加の基で利用法が検討されました。そして協議会の趣旨には、防災上の課題を解決するような跡地の活用を検討することが含まれており、イケ・サンパークへの構想へと進んでいったのです。

ちなみにイケ・サンパークには防災に対する意識以外にも、住民の想いを感じられる場所があります。園内南側にある石積みのモニュメントです。これは公園に隣接する道路を支えていた石垣の一部で、かつて巣鴨監獄の排水口の役目を果たしていたと考えられるものです。以前からまちづくりに関わってきた住民の方からは、次のような声も聞かれました。

新しいものができていくなかでも、しっかりと地域の歴史も伝えていきたい。だからこそこの石積みを園内に使ってもらえるよう区にかけあったんです

このようにイケ・サンパークには、住民の防災意識や歴史を伝えたいという思いが反映された空間やモノがあります。しっかりと住民が関わったからこその深みがあるのだと感じられます。

7石積みのモニュメントが、この地域の歴史を伝えている。Photo by Masato SAEGUSA

防災公園からウォーカブル事業の柱へ

オープンしてから3年経った2023年現在、イケ・サンパークは東池袋地区という地域の公園から、池袋駅周辺全体を盛り上げる役割の一端を担おうとしています。なぜなら公園が豊島区のウォーカブル事業の一環となっているためです。2010年以降、豊島区ではマスタープランの改定や池袋駅周辺地域まちづくりガイドラインの策定などを行い、駅周辺の回遊性向上などをビジョンに掲げてきました。

その実現に向け、豊島区は3つの段階に分けた取り組みを計画、実行しています。

まずは2015年の区庁舎の移転に伴い、旧庁舎周辺と新庁舎周辺のつながりをつくる「ダンベル型のまちづくり」です。これによって旧庁舎の跡地活用や、新庁舎近くにある南池袋公園の再整備が行われました。

2つ目の段階は2019年から行われた「四つの公園を核としたまちづくり」です。前述の「南池袋公園」に加え、駅西側の「池袋西口公園」や旧庁舎跡地の一部を使った「中池袋公園」、そして本稿で取り上げた「イケ・サンパーク」を、いっそう人が集まりやすく、滞在しやすい場所として整備しました。こうした場所が池袋駅周辺にいくつもできることで、駅周辺一帯を活性化しようというのがねらいです。

84つの公園の位置関係。これらの公園によって池袋駅周辺を活性化するのを狙っている。(「池袋駅東口と西口をつなぐウォーカブルなまちづくり」より筆者作成)

現在はこの「四つの公園を核としたまちづくり」までが一区切りを迎えています。今後は最後の段階となる「東西のシンボルストリートを中心としたウォーカブルなまちづくり」へと移行し、駅前広場や公園間を結ぶ大通りなどを整備し、地域の回遊性をよりいっそう高めることを計画しています。またこうした方向性に向けて、2023年3月には駅の東西の大通りを活用した社会実験も行われました。

防災意識は時にまちを昇華する

木密地帯が生んだ防災への意識は、まちづくり協議会へと発展し、辻広場や防災公園イケ・サンパークの造成までに至りました。そして今では、東池袋にある防災公園から、池袋駅の東西一体を活性化する存在へとその役割を広げようとしています。

この住民の想いから生まれた大きな流れからは、防災意識が時にまちを変えていき、1つの防災拠点の整備で終わらず、ほかの役割も担う大きな存在になる、そんなポテンシャルを秘めていることを感じられます。ぜひ防災公園イケ・サンパークの歴史と今後に思いをはせながら、足を運んでみてはいかがでしょうか。

参考文献

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