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コンテンツからパブリックシーンをどうつくるか ソトノバ・オープンゼミ#03総括レポート

「パブリックシーンをどうつくるか」を主題に、毎回異なる視点からテーマを設定し、参加者全員でフラットに意見を交わす勉強会「ソトノバ・オープンゼミ」。

第3回は、「コンテンツ」をテーマとし、具体的なコンテンツの成立背景や経緯の考察から、パブリックシーンをつくる手法の1つとしてコンテンツのあり方を再考しました。ゼミの企画と運営を担当する学生ライターが振り返ります。

パブリックシーンにおけるコンテンツの役割とは?

ゼミでは毎回、はじめに事例紹介のプレゼンをふまえて、議論に展開していきます。

今回は、コンテンツがパブリックシーンの中でどのような役割を果たしているのかを、事例と共にいくつか紹介しました。

今話題になっているソニーパークについてや、新宿モア4番街のオープンカフェ、そして、ソトノバ・アワード2017の受賞事例からいくつか紹介し、そこから得られる学びが何かを話します。

「都心と地方はそもそも人がたくさんいるかどうかに大きなアドバンテージの差がある。地方はよりコンテンツでうまく巻き込み、参加の入り口を広げる手段として重要。」

「実際に日常的に使われるには、ワークショップなどを介して住民の声に応えることが有効。」

「使い手が自ら場を作る側として主体性を持っているかどうかが、持続性に繋がる。」

「ワークショップなど、つくるプロセス自体をコンテンツ化することで、参加者にも主体性を持ってもらえるようになる。」

などといった意見を出しました。

ゼミの記録はnote.muにて公開しています。

具体的なコンテンツの想定から見えてきたこと

はじめにパブリックシーンの中でどのようにコンテンツが活かされているのか事例をいくつかプレゼン。そのあと、2つのグループに別れてディスカッションを行いました。

それぞれ具体的な対象を想定し、どのようなコンテンツが適しているのかを考えることに。

A班は、東京郊外の民間の芝スペース+倉庫を、B班は、将来、渋谷川沿いにできる予定の遊歩道を、それぞれ対象の「場所」として選択。誰が「主体」となっていくのか、どのような「目的」を設定するのか、実際そこで「何を」するのか、などと具体的に話し合うことで、パブリックシーンにおけるコンテンツの意義が見えてきました。

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グループディスカッションの様子(Photo by Ayano KUMAZAWA)

主体から決めるべきか、目的から設定すべきか?

A班は、まずコンテンツを用意するにあたって、主体から決めるべきなのか、あるいは目的から設定すべきなのか、その順番に議論の余地があることに注目しました。誰がやるのかという主体の問題と、何のためにやるのかという目的の問題は、互いに影響しあっていくものでありながら、どちらが出発点になるかによってコンテンツのカラーも異なってくるでしょう。とはいえ、主体がいない限り、何も起こらないことは明白です。さらに、目的が主体を引き出すポテンシャルをもっていることも確かです。「主体」と「目的」の関係性に焦点を当てて考えることで、パブリックシーンをつくりあげるためにコンテンツがどうあるべきか、考えが深まっていきました。

B班でも同様に、「主体の数だけ目的があるのでは?」「だとしたら、目的にも順番があるのではないか」といった議論が交わされていました。そして、「最終的にはいつもそこにひとがいること」を想定するコンテンツの最終目標として掲げることに。

ここには、細かな目的のほかに、最終的なビジョンを設定することを重要視する傾向が見られました。
なんのためにコンテンツを用意するのか。誰がそのコンテンツの担い手になるのか。それを持続させていくために、いかに参加者にを作り手側に引き込んでいくか。その話の参考として挙げられたのが、盆踊りの参加者です。

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千葉県稲毛区の緑町公園(Hellogardenに隣接)で開かれた盆踊り大会の様子(Photo by Suzuna MIKURINO)

盆踊りの起源は、仏教行事や原始信仰の儀式など諸説ありますが、死者の供養というのが現在世の中で通底している目的だと思います。

とはいえ、実際にこの催しを支えているのは、死者を供養しようと集まる人というよりは、「踊ること自体を楽しみにしている人たち」(“盆踊ラー”とも呼ばれているのだとか)ではないか、という指摘が出されました。

「近年、各地で盆踊りが若手の担い手によって進化/継承されているのは、実は「踊る」「祭り」へのある種、原始的で普遍的な楽しさへの共感があるのでは?」
彼らのような純粋に踊ることを楽しむ人たちが盆踊りというコンテンツの担い手となっているのではないか、という視点には大きな共感が集まりました。

この

「楽しいと思う人が楽しいと思うことをする、さらにそれに共感した人が集まってくる」

という積極性を、「楽しさイニシアチブ」と名付けることに。

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学生ライター三栗野による、「楽しさイニシアチブ」の図解(Photo by Ayano KUMAZAWA)

「楽しさイニシアチブ」の器をどうつくるか

盆踊りに熱狂する人たちと似たような事象として次に挙げられたのが、渋谷のスクランブル交差点です。スクランブル交差点付近では、いつも路上パフォーマーがいて、毎日違うパフォーマンスが見られるイメージがあります。渋谷に訪れる人のほとんどは、彼らを目的として訪れたわけではなくても、偶然そこを通りかかったときに、ふと足を止めたり耳を傾けたりしてするのではないでしょうか。

ここで注目したいことは、パフォーマーと同じベクトルをもっていなくとも、なぜかその熱に惹きつけられてしまうことです。盆踊りの事例では、踊ることを楽しいと思う人が同族を集めて熱を大きくしていく、というような盛り上がり方を見せているのに対して、渋谷の事例では、熱の質は違えども熱そのものに惹かれて人が集まってくる、という性質が見られます。

熱の交換そのものに立ち会うと人々はセンセーションを起こす、という事象は、昨今のシェア時代にも通づるものがあるのではないか、という意見も面白かったです。確かに、インスタグラムのストーリーでライブ配信ができるようになったり、テレビでも生放送を多く見かけるように、今、楽しんでいることを同時間・同空間で共有することに価値を見出す傾向にあるように思えます。このようなメディアと公共性の共通点が見られたことも興味深いところでした。

重要なのは、何をするかによらず、熱の交換それ自体を生むこと。熱をもって何かをし、その熱を伝えられるような器として環境を用意することではないか、という意見に収束しました。

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「楽しさイニシアチブ」の広げかたとコンテンツにまつわる関係図(Figure by Suzuna MIKURINO)

そもそも、パブリックシーンは「誰によって」つくられるものなのか

ソトノバ・オープンゼミでは、

「誰もが立ち入ることができ、各々が自由に振る舞えることで、多様なアクティビティに溢れているような状況」

をパブリックシーンの理想像として掲げています。

まず個人による何かしらの活動が、その場で複数、同時あるいは時間を経るにつれてその場に蓄積されていくことで、それぞれのアクティビティは違えども場を共にすることができるような風土が培われていき、結果的に多様さがでてくる、という考えです。そもそも、このような自然と発生していくような状況は、意図的につくることができるのでしょうか。可能な手法を探り深めていくことが、ソトノバ・オープンゼミの目的です。

今回の議論で生まれた「楽しさイニシアチブ」という切り口は、パブリックシーンをつくる個人の活動をいかに引き出し集めていくか、という点に集約されたかと思います。企画者として筆者は、今後、その「個人」とは誰なのか、そして、「活動」がどのようなメカニズムで芽生えるものなのかを、さらに深掘りしていきたいと思いました。

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パブリックシーンのはじまりは、個人の活動ひとつひとつ。アムステルダムのジャワ島にて。(Photo by Ayano KUMAZAWA)

次回は9/13(木)、10月にはソトで開催!

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約10人の参加者が集まりました。(Photo by Ayano KUMAZAWA)

次回のソトノバ・オープンゼミは9/13(木)よる19時からを予定しています。

ソトノバ・オープンゼミはパブリックスペースや公共性に関心のある学生や社会人を中心に、いつでも参加をお待ちしています。年内にあと4回の開催をもって、いったん一区切りとすることになりました。

残り4回、パブリックシーンをどうつくるかについて、考えを深めていけたらと思います。

アムステルダム国立美術館前のモニュメント(cover Photo by Ayano KUMAZAWA)

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