【ソトノバ・ピープル】パブリックスペース情報の発信と蓄積の場が必要──ソトノバ編集長 泉山塁威さん

パブリックスペースに関心がある有志が集まって発信する、パブリックスペース特化型ウェブマガジン「ソトノバ」。2015年11月の正式オープン以来、200本を超える記事を配信してきました。1周年記念パーティーの開催に向けて、ソトノバを支えるメンバーにスポットを当てて紹介していきます。

最終日となる本日、満を持しての登場は我らが編集長、泉山塁威(るい)さん。2015年にパブリックスペース活用とエリアマネジメントの研究で博士号を取得。実践と研究の両輪を回しつつ、日夜爆走を続けています。その行動力の源泉はどこにあるのでしょうか?

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── 泉山さんといえば、学生対象のシャレットワークショップの事務局や、池袋のGREEN BLVD MARKET社会実験など、いろんな活動の運営に関わっている印象があります。専門はエリアマネジメントなんですよね。

泉山さん はい、そもそも日本大学大学院での修士論文のテーマがエリアマネジメントだったんですね。そのころ、2007年、08年あたりの時代感としては、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)とか、大崎、秋葉原あたりのエリマネがふつふつと動いているような状態で。修士が終わって、設計事務所で3年働くんですけど、引き続きエリアマネジメントを追っていこうと。

── そして明治大学大学院で博士課程に。

泉山さん そのころ国の制度の規制緩和が大きく動いて。2011年の都市再生特別措置法の改正で、道路占用許可の特例や、都市再生推進法人が制度化されたので、それを追ったんですよ。世間のエリアマネジメントに対するニーズの中心が、パブリックスペースになってくるんですね。エリアマネジメント広告とか、オープンカフェとか。いろんなパブリックスペースを活用して財源を確保する試みが、そのあたりから目立つようになってきて、それがちょうど博士論文の研究時期と重なっていました。

ソトノバ立ち上げに至るまで

── そういう流れでパブリックスペースを意識するようになって、ソトノバの構想につながっていくのですね。どういう経緯で立ち上げていったのでしょうか?

泉山さん 博士論文の執筆中から書き上げた後のことを考えていて、エリアマネジメントとパブリックスペースに特化してやっていこうと。2014年からパブリックスペースの研究会活動をしていたのですが、実務者も交えながらいろいろ議論を重ねるうちに、パブリックスペースの活用をめぐる課題をあらためて実感しました。一つは「制度」、そしてもう一つは「情報」です。

── 「情報」というと?

泉山さん 例えば、海外の事例やアイデアを日本人は知らない。情報は英語で流通しているので。これを日本語に翻訳することはもちろん、今の日本の状況に置き換えて解説するような記事も必要です。そうやって海外の最新情報を届けるというのが一つ。

海外事例の紹介・日本語での発信も、ソトノバの大きな役割です。こちらは英国プレストン市でのモバイルキャノピーの紹介。

海外事例の紹介・日本語での発信も、ソトノバの大きな役割です。こちらは英国プレストン市でのモバイルキャノピーの紹介

泉山さん そして今、日本各地のパブリックスペースの事例が盛り上がってきているんですけど、それをやっていることを実務者が知らない。当事者の方たちはバタバタして忙しいので、広報まで十分には手が回りません。またそれぞれの地域の周辺では告知されていても、東京や全国にまで届かない。特に開催後のレポートが手薄になりがちです。

特に最近ではSNSに頼りがちなのもあって、ウェブに上がっていないんですよ。事例が蓄積されていかない。こういう状態を何とかするために、プラットフォームとしてのウェブマガジンをやりたいね、というのをことあるごとに話していて。それに共感したメンバーが集まって立ち上げたのが「ソトノバ」なんです。

郊外化の実態を目の当たりにして都市計画へ

── これは他のメンバーにも一通り聞いている質問なのですが、泉山さんは建築分野にはいつ頃から興味があったのですか?

泉山さん うーん、ずっと転勤族でマンション住まいだったので一軒家を建てたいな、とか最初はそんな漠然としたレベルの話ですね。

僕は高2で埼玉から札幌に転勤しているんですよ。埼玉ではけっこう地方だったのが、急に札幌という都心に来て。どうしても比較しますよね。日韓W杯の時期に札幌ドームができたり、札幌駅も再開発されたりとか、大きな開発が相次いだ時期でもあるので、建築への興味が具体的になっていったというのはあるかもしれませんね。

── 卒論で都市計画研究室を選ぶんですよね。

泉山さん それにははっきりしたキッカケがあって。中学の同窓会があって、埼玉の方に久々に行ったんですよね。4、5年ぶりに。そうしたらかなり中心市街地が衰退していて。駅前のショッピングセンターがパチンコ屋になっていたり。郊外化が進んでいたんですよね。それで、「あ、建築単体の設計をしていても、多分この街は変えられないんだろう」ということに気が付いてしまったんですね。それから都市というものへの興味が加速していきました。

その後、修士1年の就職活動でゼネコンや設計事務所の開発系を狙っていたのですが、そのタイミングでサブプライムが起こるんですよね。ゼネコンやデベロッパーが破綻して、潰れていくわけですよ。そのときに、これからビルをつくっていくだけで本当にいいのか、と感じてしまって。

修士課程の時にシャレットワークショップに参加して、それまで机上で研究してきたのが、住民の方と一緒に実際の課題を考えていくというのに可能性を感じました。それが現在の、実践と研究の両立というスタイルにつながっている気がします。

── 最後に、ソトノバ1周年を迎えてどうですか?

泉山さん はじめた頃はとにかく走りながら考えるという感じで、1年後どうなっているかなんて想像すらできませんでした。でも次第に記事単位で反響をいただいたり、ソトノバという存在が認知されたりするようになってきて。自分の中でも手応えを感じるようになったのは、本当最近ですね。ようやくですよ。次に何をやろうかと思えるようになってきたのは。1周年記念パーティでその辺りも発表できればと思っています。

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いよいよ明日、11月5日はソトノバ1周年記念パーティです。まだまだご参加お待ちしています!
「1周年記念パーティ!ソトノバとパブリックスペースの1年を振り返る」ソトノバ TABLE#10

Portrait by Tomoyuqui HIGUCHI

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樋口 トモユキ

樋口 トモユキ

ソトノバ副編集長/修士(建設工学, 都市工学) 建築専門誌の記者から転身、ドラマチックに合流する。愛知県名古屋市出身、東京都中野区東中野在住。東大まちづくり大学院1期生。人々が集まり営む都市というものに対する飽くなき好奇心を胸に、新たな発見を求めて夜な夜な街に繰り出す。キューバ渡航歴6回、東京都公認ストリートライブのライセンスを持つラテンパーカッショニスト。座右の銘は「君子豹変す」。