ソト事例

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ストリート|道路空間

今こそ学びたい!旭川市50年間のストリート・マネジメント (後編)完成からこれまでの物語

前編では、日本で初めての歩行者専用道路「平和通買物公園」を創ったプロセスを紹介しました。
パブリックスペースというと日々の維持管理や利活用に注目しがちですが、後編は、時代に合わせた再整備や活用の在り方など、長期のマネジメントサイクルを追っていきます。

公園のような街路はその後どうなっていったでしょうか?

それでは、もう1度、時間を巻き戻してみましょう!

整備から最初の10年間(1970年代〜):独自の利活用ルールをつくる!

他の手本のない状態だった旭川。完成してまもなく、この独自の空間を運営する独自のルール(要綱)を開発します。

まずは1年間利用状況をしっかり観察し、「市民が運営企画に参加することで、自由な「市民の広場」としての効果的活用を高める」ことを第一として、具体的にイベントのカテゴリーを定めました。

例えば、「とうきび(とうもろこし)売り」を正式なイベントカテゴリーに位置づけるなど、街の風物詩・郷土色を意識したものもありました。

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商店主が手入れし、交流の場となっていた滞在空間(「 “買物公園”基本設計ノート -旭川モール」:参考文献1より引用)

前編で触れたとおり、整備から10年の間は、期待を寄せた複数の百貨店が、開店・増床したり、歩行者が増えるなど、効果も顕著でした。

商店街にとっての平和通は、来街者を惹きつけて活力をもたらすだけではなく、その滞在空間が商店主自身の居場所にもなっていたため、マネジメントに積極的に関わり続けました。

次の20年(1980年代後半〜)

⑴市民の意識が変化
万全を期したマネジメント体制に見えましたが、さらに10年が経つと、大きな誤算が浮き彫りになりました。

当初、平和通の計画の先には、南側の鉄道駅に対応する北側の交通の核としてバスターミナル建設を計画しており、平和通の北側にもにぎわいの連続をつくることを想定していました。

しかし、用地取得が叶わず、結果として人の流れが北側エリアに行きとどいていなかったのです。

これにより、これまで平和通にかけた時間と、費用に見合う経済効果はなかったのではないか、と疑問を抱く人が出てきました。

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中心市街地と平和通(全長約1,050m、幅員約20m)、想定されていたバスターミナルの位置(Drawing by Shino MIURA)

一方、市内全体の動向に目を向けると、郊外開発が勢いを増していました。
同時に郊外の暮らしを支えるための公共施設建設が進み、市民福祉のための場所が多様化しました。

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公共建築物の整備が80年代に急増していることがわかる(平成28年度版旭川市公共施設白書:参考文献2より引用)

そうして、「安全で快適な市民のためのオープンスペースづくり」として共感されていた平和通への投資の位置づけは、いつの間にか「中心市街地商店街の経済活性化」のためだけだと、認識がすり替わっていったのです。

(2)「公園」から「美しい通り」へ

こうした世相の変化を踏まえた上で、将来的にも市民に利用されるように通りを見直したいと、商店街有志が動きはじめます。

1972年の最初の整備も、市長の構想から約10年かかりましたが、今回も、商店街が行政を動かす過程を含めて、約10年間かかりました。

遊び空間や広場的な「公園」らしさをつくっていた滞在空間のあり方を見直し、

  • 遊具を撤去し、「一本の美しい線」として統一性を出すことで大人が語らえる場所にする
  • 来街者が楽しめるような大型イベントが開ける、フラットな路面づくり

という特徴をもったデザイン案に決めていきました。

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統一感のある街並みが重視された景観ガイドプラン(商店街提供資料より)

現在まで(2000年代〜):

(1)日常の居場所づくりが課題

このデザインを原案に、2003年に再整備を遂げると、旭川市の目玉となるマルシェイベントが開催されるようになりました。このイベントは大成功をおさめています。

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年に一度の「北の恵み 食べマルシェ」(るるぶ.com参照)

その裏で、滞在空間を見直した新デザインでは普段づかいの場づくりに課題がありました。

前掲の70年代頃の写真が示すとおり、小さく空間が区切られた滞在空間(下部断面図が示す「施設帯」)では、子どもの遊びとその見守りが行いやすかったとみられます。

また、ここでは展示イベント・屋台設置など、小規模だけれど、見知らぬ人々同士でもコミュニケーションする機会がつくられており、様々なグループサイズでの利用に対応できていました。

一方、新デザインでは左右に滞在空間を分割して再配置したため、施設配置としてはより小規模・少人数向けの場が点在することになりました。

こちらの場のサイズだと、一緒に利用する利用者は知り合い同士で、休憩・会話するのみ、にとどまりがちです。

様々なグループサイズで使うことができ、旧デザインと同様に、日常的な利用がされる居場所として質を保つには、運営側で以下のようなことに取り組むことが鍵だったのです。

  • 仮設ファニチャー設置に新たに取り組み、柔軟に滞在できる空間を用意すること
  • 屋台のような小規模な活用を続けること

これらが揃うと、現在の平和通でも多様なユーザーが共存でき、老若男女が楽しめる空間となり、以前にも増して多様な活用も可能となります。

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80年代の街路断面(左)と、再整備後の断面(右)。「施設帯」の部分にベンチなどが置かれた。(Drawing by Shino MIURA)

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夏の間、オープンカフェでくつろぐ来街者(Photo by Shino MIURA)

(2)広い空間はあるのに、気軽に使えない

ところが2000年代半ばには全国で道路活用が叫ばれるようになり、運営側は、この流れに影響を受けました。

それまで、平和通の利活用では「市民自体が運営企画に参加する」ことを大切にしていました。

しかし、この頃からは外から入ってきた「来街者に広く利用される」運営が原則だという考え方に沿う必要がでてきました。

手作りの行事や場づくりを楽しむのではなく、来街者をもてなすという、ある意味「プロ」の運営を目指さねばならなくなりました。

慣れ親しんだ感覚で企画できず、申請への気持ちのハードルが高くなってしまい、広い空間はあるのに使われにくいというジレンマに陥ったのでした。

商店街は今も管理費用を負担していますが、利活用の運営は「旭川まちなかマネジメント協議会」にうつりました。この協議会は、中心市街地活性化基本計画の枠組みの中で、イベント支援や商店街サポートなどを行っている組織です。

長年のストリート・マネジメントをどう捉えるか?

メインストリートマネジメント

長期のストリート・マネジメントの捉え方(Drawing by Shino MIURA)

これまでの変遷から、長期間のマネジメントを捉えると、大体10〜20年スパンで、ハードを見直す機会が訪れることがわかります。

その引き金は、大きくふたつの要因であると考えられます。

  1. 今ある空間を最大限活かす「日々の維持管理や利活用」では対処できない運営の課題
  2. ライフスタイルや社会状況の変化

平和通の場合、1.はストリートの区域(駅側エリアか/北側エリアか)による、マネジメントの費用と効果のアンバランス。2.は郊外化でした。

これらに対応するため、

  • メンテナンス負担の大きい「公園のような滞在空間」を見直し、「歩行者専用」の空間は全面に残す。これにより、多くの来街者を惹きつける目玉となる「大型イベント」や「オープンカフェ」を可能にする。
  • 「民間・市民による自治的な運営」:商店街による維持管理、小〜中規模の市民企画による活用の枠組みを残す(ただし、活用は想定よりも頻度が少ない)

という選択をし、マネジメントの改善を行いました。

再整備を行う際、現在の状況に合わせて、何に手を加えていくのか?さらには将来のために、何を残していくのか?ここを解くのが、ストリート・マネジメントの醍醐味、そして難しさです。

ストリート・マネジメントの真価とは?

平和通では、昨年、70年代整備の成功の象徴だった百貨店が撤退するなど、時代の変化に伴い紆余曲折を経て今に至ります。

過去の写真やデータと比べてしまうと、次第に駐車場や空き店舗も増え、大きく求心力を失っているようにも見えます。

しかし、駅前側の現在の通行量は、他都市と比較して、決して少ないわけではありません(注1)。

長期的に見て、旭川のストリート・マネジメントは成功してきたのでしょうか?

現況を切り取って、定量的な指標のみで測ろうとすると、積み重ねてきた成果を見過ごす、あるいは、過大評価してしまうことにもつながりかねません。

常に原点の理念に戻り、市民のための空間になりきれているか、旭川というまちに居る実感をもてる空間になっているかという観点から、マネジメントの真価は問うべきでしょう。

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七条緑道でくつろぐ人々(Photo by Shino MIURA)

「手づくり」の温もりと「自然」への回帰

「店を出すなら平和通がいい!」と、平和通が若い世代を引きつける磁力は健在です。

一方で、「旭川に居る実感」については、最近、地場木材・家具を活用したり、地元アーティストの活力をいかすなどして、空間を「手づくり」する活動の中に見出されているようです。

平和通でも、老朽物件が残った北側エリアで、NPOがリノベーションを仲介することにより、旭川のよさを活かした空間づくりの取り組みが進んでいます。

また、このような取り組みが行われている場所を俯瞰してみると、こうした動きは、平和通に交差する七条緑道、常盤公園、旭橋などの、緑や水辺空間を拠り所にしています。

若い世代の「手づくり」の温もり、そして旭川の「自然」への愛着が感じられます。

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平和通北側エリア店舗による、座り場づくり: まちなかイベントの際は市民が持寄る、アウトドアチェアを使って(Photo by Shino MIURA)

こうした状況を踏まえ、今後は次世代を担う人たちが、周りの自然を含むエコシステムの一部としてストリートを捉えること、あるいは、かつて「手づくりの公園」のようなストリートだった歴史を振り返ることで、平和通の面白さを再発掘していくのではないかと、筆者は考えています。

旭川のみなさんの、長年のチャレンジの積み重ねに敬意をもって、今後も足を運びたいと思います。

主要参考文献
1. “買物公園”基本設計ノート -旭川モール〔設計・上田篤他〕,建築文化 (311), pp.119-124, 彰国社,1972
2. 平成28年度版旭川市公共施設白書
3. 三浦 詩乃 , 出口 敦:旭川市平和通買物公園の利活用とマネジメントに関する研究,日本建築学会計画系論文集, 80,713, pp.1635-1643, 2015

(注1)駅前広場を近年整備した、中核市1都市(人口・商圏ともに50万人規模)春・秋期と、平和通駅から200m地点歩行者通行量・夏期を比較。12時間あたり換算を行うと平和通では約16000人、比較対象都市は28000人(春)及び17000人(秋)。

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